『イエス・キリストの誕生』
               メッセンジャー イザヤ木原真牧師

                                  ルカの福音書28節〜20

 

今、世はクリスマスシーズンです。一般的にこの日はイエス・キリストの誕生日として祝われています。しかし、本来この日はイエス様の誕生日ではありません。この日は、異教の祭りの日だったのです。
 ですから、私たちの教会では、クリスマスを祝いません。しかし、神の子であるイエス様が人となってこの地上にお生まれになったのは真実であり、特別な事です。
・最も低くされた神の一人子

イエス様は神の一人子です。この方は神であるにも関わらず、私たちのために、人となってこの地上に来て下さいました。しかし、その方がこの地上にお生まれになった時、寝かされたのは飼葉桶でした。住民登録のために多くの人々が、各地からベツレヘムに集まったために、宿屋をとる事が出来ず、馬の餌入れに寝かされたのです。イエス様は神の子です。最高級の羽毛布団のような所に寝かせられて然るべきです。しかしイエス様は、飼葉桶に寝かせられたのです。ここにはメッセージがあります。イエス様はこの地上における生涯のすべてをこのように過ごされました。私たちは、時間にも場所にも制限されています。また、それが当然です。しかし、時間も場所も作られた神の一人子には制限などありません。その方が、私たちと同じ制限を持つ人になられたことは、私たちには想像も出来ないほどの事です。まったく罪の無い神である方が、人となって、この罪に満ちた地上に来られたのです。最も汚れたところに、最もみじめなところに、あえて来てくださったのです。それは、最も痛んだ人、最も弱い人、最もみじめな人、最も罪にまみれた人を救いになるためでした。イエス様は、十字架の死という最悪と言える様なところまで通られました。しかし、だからこそ、希望があるのです。最も低くされたイエス様は、私たちがどんなに失敗しても、最悪だと思えるような時でも、どん底だと思えるようになっても、そのもっと下から、私たちを救って下さるのです。
 最も弱さを感じる時、自分のどうしようもない罪を感じる時、イエス様は上から手を出して私たちを引っ張り出すのではありません。その苦しみや痛みのもっと下から、私たちを引き上げて、救い出して下さる方なのです。私たちのすべてを知って、すべてを受け止めて、私たちを救い出して下さるのです。
・私たちの喜び

イエス様が誕生された後、御使いが羊飼い達のところに来てこう言います。10節「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」イエス様の事を「喜び」と言っているのです。ですからこの方は、喜びなのです。この喜びは、病がいやされた喜びや、問題が解決された事による喜びではなく、イエス様ご自身が私たちの喜びであるという事です。この方がともにいて下さる事が、私たちの喜びなのです。そしてその喜びが、私たちの病をいやし、問題を解決するのです。
 落ち込んだ時、疲れた時、言葉や異言を使って祈り、主と交わる事は重要です。私たちの内におられる聖霊様が働かれ、信仰を強めて下さるからです。それは私たちに喜びを与えます。

・神様は前もって語ってくださる

20節「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」とある様に、イエス様の誕生は、羊飼いに告げられた通りでした。神様は多くの場合、前もって私たちに語って下さいます。そして、その語られた言葉は必ず成就します。

神様の言葉を聞きましょう。神の言葉は私たちに力を与え、私たちを祝福して下さるのです。

 (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

20081221日 主日第2礼拝メッセージより