『過去にとらわれない』

                       ヨシュア記129節 メッセンジャーイザヤ木原真

・モーセとは違う使命

 2節に「モーセは死んだ。」と主は言われました。それは、モーセの事を否定したのではありません。彼は、旧約聖書の中で最も謙遜で、すばらしい指導者でした。しかし、そのモーセは死んだのです。

 それは、モーセの時代が終わり、ヨシュアという新しい指導者のもとに、今までと違う時代が始まったという事を知らせるためでした。モーセの時代はマナが降りましたが、ヨシュアの時代にはマナは降りません。神様が導かれたのは、今までとは、まったく違う歩みでした。約束の地カナンに入る度ごとに、戦いがありました。しかし、その戦いは、占領の歩みだったのです。

 多くの人たちが、過去の事柄にとらわれて生きています。過去の失敗や成功にとらわれるのです。過去の事にとらわれることは、私たちが神様に従って歩む事の妨げとなります。過去の失敗が恐れを与え、前に踏み出させない様にし、過去の成功が神様の導きに従えなくさせるのです。

 過去の事柄を否定する必要はありません。しかし、神様の御声に聞き従って生きるためには、過去の事にとらわれていてはいけません。モーセは素晴らしい指導者でした。荒野で多くの奇蹟を見、祝福が与えられました。しかし、ヨシュアの歩みは、カナンの地を占領する歩みでした。今、私たちは、人生の節目にあるようです。教会としても、個人としても。その時に過去にとらわれていては、いけないのです。

・神様が与えようとされる祝福は大きい

「すべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。」神様はこう言われました。足の裏が踏むところが与えられるのです。今、神様は信仰の歩みという事を語っておられます。しかし、踏み出して行こうとすると、簡単に諦めてしまう人や、やめてしまう人がいます。それは、信仰の歩みをやめてしまうと言うことです。この時も、神様が与えようとされている領域は、大イスラエルと言われる、非常に大きな領域でした。しかし、今のイスラエルは非常に小さく細い領域しかありません。それは不信仰の結果、信仰の歩みを止めてしまったからです。

神様が私たちに与えようとしておられる祝福は非常に大きいものです。しかし、不信仰の結果、その祝福を充分に受け切れていない人がいます。信仰の歩みをやめ、諦めてしまった人達です。

今年、神様は、「信仰を通して世に打ち勝つ。」と語って下さいました。最近、感謝の祈りを通して、並外れた祝福が与えられているのを耳にします。しかし、並外れた証し与えられるという事は、並外れた問題が許されるという事です。しかし、その問題がゆるされた時、私たちが信仰を働かせるのです。頑張るのではありません。信仰に立って、神様の言葉に従い続け、感謝し続け、神の言葉に従って踏み出して歩みだしていく時に、神様が働かれ、私たちは大きな祝福を受ける事が出来るのです。

・神の言葉に力がある

 神様はヨシュアに、神の言葉を絶えず語り続け、触れ続けるように言われました。神の言葉に力があるからです。神の言葉に私たちが触れ続ける時、私たちは神様が用意しておられる使命や召しの働きに、入っていく事が出来るのです。もし私たちが神の言葉に触れないで、使命や召しが与えられたと言っている場合、それは間違えている場合が多いのです。神の言葉に触れ、神の言葉と共に歩む者は、豊かに栄えるのです。それは、神様の約束だからです。

 確かに聞き従って行く中では、恐れがあります。しかし、その時に信仰に立って神様の言葉に従い、応答し始める時、神様が働かれ、神様が業を表され、私たちは神様の祝福を見る事が出来るのです。


(
文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

200938日 主日第2礼拝メッセージより