『神のすべての武具をとりなさい』

                エペソ人への手紙61020節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 本題に入る前に、このエペソ人への手紙は、パウロが書いた手紙ですが、テーマがあります。それは、教会です。エペソ人への手紙は教会について書いてあるのです。つまり「霊的な戦い」と語る時は、土台が教会だと言う事、個人ではないと言う事です。教会を離れて、個人でサタンと戦うとしたら、無理が生じます。

私たちの信仰生活をくずす時、サタンはいきなりくずしたりはしません。必ず、まず教会から引き離すのです。でも、教会にしっかりつながっている時、それでも色々な問題は起こりますが、その問題に対して、神様の勝利の力を体験していくのです。ですから教会が土台なのです。

 また、エペソ人への手紙には、救いの事が最初に書かれています。ですから、十字架が土台になります。人間は自分の力ではどうする事も出来ない、自分の中にある罪の結果、正しい道からずれてしまいます。一生懸命やればやるほど、かえって混乱し、かえってドロ沼に落ちる事となるのです。それは、神様を信じない結果であり、的をはずしているからです。しかし、それらの罪から来る、すべての裁き、呪い、悲しみ、苦しみ、病を身代わりに引き受けたのが十字架です。私たちクリスチャンはそれを信じて、赦され、義とされ、いのちをいただいて、今生かされています。もちろん、罪に対しては、悔い改めなければなりません。罪の刈り取りはあります。しかし、悔い改めるならば、私たちは完全に赦されるのです。自分が本当に赦されていると、堅く立つ時、サタンと戦っていけるのです。

 11節「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」サタンは策略を持って人生を破壊してきます。私たちがどんなかしこい人でも、悪魔の策略に対して自分の知恵で立ち向かうならば勝てません。私たちは神様の力によって、神様に従って行く時に勝利して行くのです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて堅く立つ事が出来るように、「神のすべての武具をとりなさい。」と神様は言っておられるのです。

 14節「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け」とあります。真理とは、イエス・キリスト御自身、または、御言葉です。その帯を締めるという事です。正義の胸当てとは、私たちの立派な行いや行動ではありません。ここでの正義は、真実な悔い改めを言っています。本当に神様の前に悔い改める時、イエス・キリストが持っていた義、1度も罪をおかさなかった方の義、つまり、神の義が私たちの胸当てとなるのです。これには、サタンは立ち向かう事も出来ません。

 16節「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」この火矢は人の言葉です。人の言葉の火矢が飛んできて、ぐさっと刺さったりします。だから信仰の大盾でその火矢を消しなさいと言っているのです。盾とは信仰を用いる事です。具体的に一番簡単な方法は感謝する事です。火矢が飛んでくる前に感謝し、感謝の盾ではねつけるのです。

 17節「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」神の言葉は、剣だと書いてあります。聖書の言葉には力があります。神の言葉が人々を作り変え、生かしてくれます。そして、この神の言葉が、私たちの人生を破壊してくるサタンを打ち砕くのです。私たちは、この神の言葉を語っていかなければなりません。世は神様の言葉を聞きません。私たちが神様の言葉を語らなければ、誰も神の言葉を聞かないのです。私たちが神の言葉を語る時、初めて人々は神の言葉に触れるのです。

 闇の力・サタンをも打ち砕く、神の言葉。この神の言葉を語っていきましょう。 (文責 千多冨二男)

 

主の十字架クリスチャンセンター神のしもべ長崎教会
2009
329日 主日第2礼拝メッセージより