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『神様の=
481;心を歩むために』=
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12288; z=
88; 聖書箇所 16<=
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style=3D'font-family:"MS Mincho";mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-fo=
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Century'>章21~28<=
/u>節ӌ=
8;メッセンジャー イ&=
#12470;ヤ木原真牧師
自分を捨て、自分= 12398;十字架を負うとい{= 58;事は、神様の恵みに= よることです。もし= 2289;クリスチャンが頑অ= 3;って信仰の歩みをし&= #12424;うとしているなら= 400;、それほど難しい事= ;はありません。例え= 12400;、聖書は「自分のƁ= 63;人を愛しなさい。」= と教えています。も= 2375;も私たちが、それӛ= 4;頑張ってしようとし&= #12390;も、とても出来る= 371;とではありません。= ;私たちの信仰の歩み= 12398;土台は、イエス・|= 61;リストの十字架、神= 様の恵みによるので= 2377;。
・神の御心にぶつ=
12363;ったペテロ
イエス様は「人々= 12399;人の事を何と言っ{= 90;いますか。」と、弟= 子たちに聞かれまし= 2383;。人々の意見は色Ӎ= 3;あり、「バプテスマ&= #12398;ヨハネ」と答える= 418;のもいれば、「預言= ;者」と答えるものも= 12356;ました。そして、É= 70;度は弟子たちに聞か= れました。「では、= 2354;なたがたは、わたӕ= 5;をだれだと言います&= #12363;。」そのイエス様= 398;問いに、筆頭弟子で= ;あるペテロは答えて= 35328;います。「あなた{= 99;、生ける神の御子キ= リストです。」彼は= 2289;100点満点の= 572;えを言いました。そ= ;の答えを聞いたイエ= 12473;様はこの時、初め{= 90;ご自身の十字架につ= いて語り始められま= 2375;た。この後、エルӞ= 9;レムに行き、苦しみ&= #12434;受けて十字架にか= 363;り、死んで、三日目= ;によみがえなければ= 12394;らないことを彼ら{= 95;伝えられたのです。= しかしそれは、弟子= 2383;ちが持っている考Ӕ= 0;とは異なるものでし&= #12383;。彼らが持ってい= 383;救い主のイメージと= ;は「イエス様がこの= 22320;上で王様になってz= 89;ローマの支配から助= け出し、ユダヤ人の= 9579;国を造ってくださӚ= 7;。」というものだっ&= #12383;からです。そのイ= 456;ス様が苦しみを受け= ;、死ななければなら= 12394;いなど、考えられ{= 94;かったのです。その= ため、彼はイエス様= 2364;ご自身の使命を語Ӛ= 5;れた時、イエス様を&= #33258;分のもとに引き寄= 379;て、いさめ始めたの= ;です。「主よ。神の= 24481;恵みがありますよ{= 58;に。そんなことが、= あなたに起こるはず= 2399;ありません。」つә= 4;り彼は、イエス様に&= #12300;そんな事あるわけ= 394;いじゃないですか。= ;」と言ったという事= 12391;す。十字架がなけ|= 28;ば救いはありません= 。それなのに彼はイ= 2456;ス様の十字架を、ৡ= 8;み、否定したのです&= #12290;その彼に、イエス= 096;は振り向いて言われ= ;ました。「下がれ。= 12469;タン。あなたはわ{= 83;しの邪魔をするもの= だ。」永遠のものに= 0446;を向けず、地上のә= 8;のに目を向け、イエ&= #12473;様の最も大切な使= 629;、十字架に対してぶ= ;つかったペテロを、= 12452;エス様は「サタンz= 90;」と言われたのです= 。もちろん彼は、イ= 2456;ス様を愛していまӕ= 5;た。今までもイエス&= #27096;に従って来ました= 290;それにも関わらず、= ;彼は神様の邪魔をし= 12390;しまったのです。
私たちも、神様が= 35328;われることに対し{= 90;「そんなことあるわ= けないですよ。」と= 5328;ってしまってはいӗ= 4;いでしょうか。神様&= #12398;語りかけを拒み、= 542;定してしまっている= ;ことはないでしょう= 12363;。なぜペテロはサ|= 79;ンに用いられてしま= ったのでしょう。イ= 2456;ス様は彼に続けてӕ= 1;う言われました。「&= #12354;なたは神のことを= 605;わないで、人のこと= ;を思っている。」彼= 12399;、神様ではなく、Ō= 58;分の考え、自分の思= いを中心に考えてい= 2383;のです。
私たちが人を中心= 12395;する時、神様の働{= 65;の妨げとなってしま= うのです。
・祈りきる=
<= span style=3D'font-family:"MS Mincho";mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-fo= nt-family: Century'>イエス様は弟子た= 12385;に言われました。「だ= 2428;でもわたしについӗ= 0;来たいと思うなら、&= #33258;分を捨て、自分の= 313;字架を負い、そして= ;わたしについて来な= 12373;い。」自分の十字架とは= 12289;推測で負うもので{= 99;ありません。はっき= り神様が言われるの= 2364;自分の十字架であӚ= 6;、神様の御心に立つ&= #12392;いう事が、十字架= 434;負うということなの= ;です。
<= span style=3D'font-family:"MS Mincho";mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-fo= nt-family: Century'>では、どうすれば= 33258;分の十字架がわか|= 27;のでしょう。それは= 、「祈りきる」とい= 2358;ことです。祈りきӚ= 7;とき、神様の御心が&= #20998;かるのです。
<= span style=3D'font-family:"MS Mincho";mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-fo= nt-family: Century'>本当に神様が与え= 12390;くださる十字架に{= 99;、恵みが伴うのです= 。そして、神様の豊= 2363;な祝福が与えられӗ= 0;いくのです。神様に&= #31048;り、神様が与えて= 367;ださる、自分の十字= ;架を負って歩んでい= 12365;ましょう。
<= span style=3D'font-family:"MS Mincho";mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-fo= nt-family: Century'>(文責 松本俊也= 65289;
<= span style=3D'font-family:"MS Mincho";mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-fo= nt-family: Century'>主の十字架クリス= 12481;ャンセンター 神{= 98;しもべ長崎教会
<=
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lang=3DEN-US>2010年2<=
/span>月7日ӌ=
8;主日第2礼拝メッ=
475;ージより