MIME-Version: 1.0 Content-Location: file:///C:/A518D278/100328.htm Content-Transfer-Encoding: quoted-printable Content-Type: text/html; charset="us-ascii"
『パーム=
469;ンデー~しゅろの日=
;曜日~』
=
288; =
; マタイの福音=
26360; 21<=
span
style=3D'font-family:"MS Mincho";mso-ascii-font-family:Century;mso-hansi-fo=
nt-family:
Century'>章1~11<=
/u>節ӌ=
8;メッセンジャー イ&=
#12470;ヤ木原真牧師
イエス=
096;が十字架にかかると=
;いう一番大切な目的=
12398;為に、神の都エル|=
69;レムに来られたのが=
、この日曜日です。=
2452;エス様はエルサレӣ=
2;に日曜日に入場され&=
#12390;、金曜日に十字架=
395;付けられました。そ=
;して、よみに下り、=
65299;日目に復活されま{=
77;。イエス様がエルサ=
レムに入場され十字=
6550;にかかられたこの=
3;を、受難週(パッショ=
531;ウィーク)と言いま=
377;。そして、エルサレ=
;ムに入場されたこの=
26085;曜日をパームサン|=
87;ー(しゅろの日曜日=
)と言うのです。こ=
2398;エルサレムに入場ӕ=
7;る日、イエス様はロ&=
#12496;の子に乗って入場=
373;れました。
・神は名をもって=
36984;ばれた。
「向こうの村へ行き=
;なさい。そうすると=
12377;ぐに、ろばがつな{=
64;れていて、いっしょ=
にろばの子がいるの=
2395;気がつくでしょうӍ=
0;それをほどいて、わ&=
#12383;しのところに連れ=
390;来なさい。」(2節)イ=
456;ス様はこのようにし=
;てロバの子を弟子た=
12385;に連れて来られま{=
75;た。つまり、イエス=
様は「あのロバと、=
2525;バの子」と名指しӗ=
1;選ばれたのです。神&=
#27096;は私たちも同じよ=
358;に名を持って選び出=
;されました。神様は=
31169;たちに使命や働き|=
34;用意しておられます=
。神様は貴方を愛し=
2289;貴方を名を持って=
4;び、貴方が共に歩む&=
#12371;とを願っておられ=
427;のです。
・主=
2395;祝福された人生
「そして、ろばと=
;、ろばの子とを連れ=
12390;来て、自分たちのÇ=
78;着をその上に掛けた=
。イエスはそれに乗=
2425;れた。すると、群ච=
6;のうち大ぜいの者が&=
#12289;自分たちの上着を$=
947;に敷き、また、ほか=
;の人々は、木の枝を=
20999;って来て、道に敷{=
56;た。」(7~8節)ロӡ=
6;は普通であれば、上&=
#30528;はかけてもらえま=
379;んし、上着を敷いた=
;道の上を歩かせては=
12418;らえません。しか{=
75;、イエス様が乗られ=
るので、ロバは上着=
2434;かけてもらい、ロӡ=
6;は上着を敷いた道の&=
#19978;を歩いていきまし=
383;。つまり、イエス様=
;に招かれた人生を受=
12369;取った時、ロバのī=
83;涯においておこりえ=
ないこ事が起こった=
2398;です。私たちも同ӕ=
6;ように、神様に招か&=
#12428;た人生を送る時、=
070;様の大いなる祝福と=
;恵みを受けるのです=
12290;
・忠=
3455;なもの
イエス様がエルサ=
;レムに入城された時=
12289;人々は喜んで迎えÐ=
37;れました。普通であ=
れば、人々に称賛さ=
2428;て入場する時は、ཞ=
0;などに乗って高くな&=
#12426;、人々を見渡して=
837;場すると思います。=
;しかし、イエス様は=
23376;ロバを選ばれまし{=
83;。子ロバに乗ると、=
高くなるどころか、=
0302;くなってしまいまӕ=
7;。ここには神様のメ&=
#12483;セージがあります=
290;イエス様はご自身が=
;称賛されているその=
26178;でさえ、人々より|=
18;低くなられたのです=
。しかし、なぜイエ=
2473;様はロバの子を選Ә=
0;れたのでしょう。ロ&=
#12496;は「愚鈍」と言わ=
428;ます。しかし、その=
;ロバには特徴があり=
12414;す。それは、「忠ê=
55;」ということです。=
ロバは荷物を運ぶた=
2417;に使われますが、ӣ=
2;チで打たれても、叩&=
#12363;れても忠実に荷物=
434;運ぶのです。世の中=
;では、誠実、忠実で=
12354;れば必ず報われる{=
63;と言うと、必ずしも=
そうではありません=
2290;しかし、神様は忠ऩ=
5;なものには必ず報わ&=
#12428;ます。
例えあなたが忘れ=
;たとしても、貴方の=
24544;実、貴方が神様にĶ=
34;した愛、人々へ示し=
たあなたの愛を神様=
2399;忘れたりはしませӛ=
5;。神様は忘れること&=
#12394;く、必ず時が来た=
392;きに報いてくださる=
;のです。神様は私た=
12385;を見ておられるの{=
91;す。神様は私たちに=
、真実に報いてくだ=
2373;います。
(文責 千多冨二男)
主の十字架クリスチ=
;ャンセンター 神の=
12375;もべ長崎教会
2010年3月28日 主日第2礼=
;拝メッセージより