MIME-Version: 1.0 Content-Location: file:///C:/A518DE36/100606.htm Content-Transfer-Encoding: quoted-printable Content-Type: text/html; charset="us-ascii"
『見捨=
てられた石が礎の石=
2392;なる』
=
; =
12288; 聖書箇所 使ô=
66;の働き4章11,12節節 メッセ=
12531;ジャー イザヤ木Ö=
07;真牧師
この聖書の箇&=
#25152;の、『あなたがた=
478;を建てる者たちに捨=
;てられた石が、礎の=
30707;となった。』
この聖書箇所は本来=
2289;『イエス・キリスӠ=
8;』のことを指してい&=
#12414;す。
中東では家を&=
#24314;てる時、四隅に石=
434;置きます。これらが=
;家を支える土台石に=
12394;ります。家を建て|=
27;人が要らない、役に=
立たないと捨てた石=
2364;、どうしても無くӗ=
0;はならない土台石に&=
#12394;ったという意味が=
289;この聖書個所(11節ʌ=
89;にあります。
イエス様は人&=
#12392;してはユダヤ人と=
375;てこの地上に来られ=
;ました。ユダヤ人を=
22987;め、全人類を罪か|=
25;救うために十字架に=
かかってくださいま=
2375;た。しかし、ユダӣ=
6;人はイエス様を救い&=
#20027;と認めませんでし=
383;。それだけにとどま=
;らず、イエス様のこ=
12392;を否定し、要らな{=
56;と見捨て、呪われた=
十字架にかけました=
2290;直接的にはユダヤߟ=
4;たちがイエス様を十&=
#23383;架にかけました。=
391;すが、ユダヤ人だけ=
;でなく、私たち全人=
39006;が罪のゆえにイエ|=
73;様を十字架にかけた=
のです。イエス様は=
0154;に捨てられ、父なӚ=
7;神様に捨てられまし&=
#12383;。神である方が神=
395;捨てられました。そ=
;して、地獄にまで下=
12425;れ復活されましたz=
90;この十字架のあがな=
いにより、イエス様=
2364;私たちの救いの土ࡤ=
8;石となってください&=
#12414;した。
私たちが運営する『=
0990;の石孤児院』に神ӕ=
3;まから11節と同じみこ=
;とばが与えられてい=
12414;す。孤児院に来たé=
76;どもたちは、親から=
見捨てられた子、社=
0250;から見捨てられたड=
6;、孤児院から見捨て&=
#12425;れた子がいます。=
396;児院の子どもたちは=
;礎の石孤児院に来て=
12356;なければ間違いな{=
67;生きていけない子ど=
もばかりです。まさ=
2395;見捨てられた石でӓ=
4;る彼らを、神様が礎&=
#12398;石として用いると=
356;う、確かな約束が与=
;えられています。
子どもたちは&=
#31169;たちの想像をはる=
363;に越える痛みを通っ=
;ています。しかし、=
30990;の石孤児院の子ど|=
18;たちは輝いて生きて=
います。礎の石孤児=
8498;に外部から訪問がӓ=
4;ると、「ここの子ど&=
#12418;たちは明るい。輝=
356;ている。」との声を=
;頻繁に聞きます。確=
12363;に孤児院の子ども{=
83;ちは明るく、輝いて=
生きています。子ど=
2418;たちはなぜ輝いてஶ=
3;きているのでしょう&=
#12363;。もちろん、衣食=
303;と教育は絶対に必要=
;です。ですが、彼ら=
12395;とって最も大切な{=
98;は、真の神様の愛で=
す。真の神様が子ど=
2418;たちの深い傷を完ࠤ=
0;に癒してくださいま&=
#12375;た。そして、神様=
364;自分を本当に愛して=
;くださっていて、自=
20998;は尊い存在だと、ƅ=
57;ではなく心と体と霊=
でわかったから、子=
2393;もたちは輝いて生Ӕ=
5;ています。子どもた&=
#12385;の輝きの源は、イ=
456;ス様の十字架の愛で=
;す。礎の石孤児院に=
12399;、イエス様ご自身{=
64;満ちて、神様の愛が=
満ちています。それ=
2422;え、神様が必ず、ঌ=
4;らが生まれた国の礎&=
#12398;石として、そして=
289;世界の礎の石として=
;用いてくださると信=
12376;ています。
生きていると&=
#12289;孤独を通ることが=
354;ります。しかし、私=
;たちがどんなに見捨=
12390;られた状況になっ{=
90;も(病、人間関係、=
経済など)、神様は=
1169;たちを見捨てるこӗ=
2;はありません。イエ&=
#12473;様がすでに私たち=
398;ために見捨てられた=
;石となり、救いの礎=
12398;石となってくださ{=
87;たからです。神様の=
十字架の愛があるか=
2425;、どんなに見捨てӚ=
5;れた状況にあっても&=
#12289;神様が私たちを拾=
356;上げ、引き上げてく=
;ださいます。私たち=
12434;完全に癒し、全て|=
34;益に変えてください=
ます。私たちが見捨=
2390;られた石から礎の=
7;に変えられることは&=
#12289;多くの方の希望と=
394;ります。神様は、無=
;くてはならない礎の=
30707;として、世の光と{=
75;て、私たち一人一人=
を用いてくださいま=
2377;。
<=
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style=3D'font-size:11.0pt;font-family:"MS PMincho";mso-bidi-font-family:"MS=
PGothic";
mso-font-kerning:0pt;mso-ansi-language:JA'>
<=
span
style=3D'font-size:11.0pt;font-family:"MS PMincho";mso-bidi-font-family:"MS=
PGothic";
mso-font-kerning:0pt;mso-ansi-language:JA'>(文責 =
久保田 望)
<=
span
style=3D'mso-bidi-font-size:10.5pt;font-family:"MS PMincho";mso-bidi-font-f=
amily:
"MS PGothic";mso-font-kerning:0pt;mso-ansi-language:JA'>主の=
1313;字架クリスチャンӟ=
5;ンター 神のしもべ&=
#38263;教会
<=
span
style=3D'mso-bidi-font-size:10.5pt;font-family:"MS PMincho";mso-bidi-font-f=
amily:
"MS PGothic";mso-font-kerning:0pt;mso-ansi-language:JA'>2010年6੍=
6;6日 主日第2礼拝メッ=
;セージより