『新しくなる時』

聖書箇所:ヨハネの黙示録215節、6                     メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

 

ヨハネの黙示録21章5節に「私は全てを新しくする」という御言葉があります。患難時代が終わって新しいエルサレムが降りてきて新天新地が始まります。そこで神様が、「すべてを新しくする。」という意味がこの聖書箇所の本来の意味です。でも、今日はこの御言葉を通して、神様がこれから主の十字架クリスチャンセンター全体に、同時に、神のしもべ長崎教会に新しいことをなしてくださるということを、覚えていただきたいと思います。そして、教会の一部である私たち一人ひとりの人生も新しくされます。

 

私たちの人生には時があります。全く何も変わらない時があります。モーセは荒野で40年の時を過ごしました。荒野の40年は、全く聖書に書かれていません。おそらく同じような毎日を繰り返していたと思われます。でもモーセが80歳で神様に召しだされイスラエルの民を率いた時から彼の人生は一新しました。聖書の記事を見てみると神様の器たちは、ある期間は何も変わらない時を過ごし、ある時から、一新していることがわかります。どんなに頑張っても、どんなにもがいても、何にも変らない時があります。しかし、神様の御手が動き出すと一新する時があります。

新しくなる時にはいくつかのポイントがあります。まずはイエス・キリストを信じることです。キリストを信じる時、私たちの人生は一新します。キリストを信じて歩みだす時、新しくなりますが、神様が新しいことをなす時、大事なポイントがあります。2つ目のポイントは、私たちが自分自身の人生を神様にささげることです。私たちが自分の手で握っていると、神様が私たちの人生を新しくしようとしているその計画が開かれません。私たちが神様に自分の人生をささげると、その時、神様が私たちの人生に計画しておられることが具体的に開かれてきます。神様にささげるということは具体的にいうと、神様への献身を意味します。献身とは牧師や伝道師になることが全てではありません。もちろん献身して牧師や伝道師になる方がおられます。でも、神様に人生をささげたサラリーマンや大学教授もおられます。大事なことは神様に人生をささげているかどうかです。神様に人生をささげると神様は私たちの力ではできないことを、新しいことを、私たちの人生に成してくださいます。

神様に人生をささげると私たちの人生の頭は神様になります。神様に人生をささげていないと何かの奴隷になっています。多くの人は罪の奴隷です。また、自分自身、誰か、お金の奴隷になっています。それらに、縛られて生きています。しかし、本当に神様に私たちの人生をささげて生きる時、神様が私たちの人生を導いてくださるので最高の人生となります。神様が用意してくださっている最善のご計画が開かれてきます。

神様に全てをゆだねるとは何もしなくていいということではありません。神様に全てをまかせて神様がおっしゃることを喜んですることです。ある場合は、自分ができないと思えること、嬉しくないと思えることかもしれません。でも、自分ができると思えることもできないと思えることも、嬉しいことも嬉しくないことも自分の思い・考えを神様にささげきって神様がおっしゃることをなしていくのです。その時、私たちが今までできなかったことを神様がなしてくださいます。

 

人の心は、人には変えることはできません。でも、私たちが神様に人生をささげて神様が語られることに従っていくと神様が私自身を新しくしてくださいます。周りの人々をも新しくしてくださいます。神様に不可能なことはありません。

神様がこれから新しいことをされようとしています。どうぞ、神様にあなた自身をささげてほしいと思います。その時に神様があなたに語ってくることがあるので、その言葉に従って歩んでいただきたいと思います。神様が語られる御言葉に勇気をもって踏み出していただきたいと思います。その時、あなたの人生に神様の素晴らしいご計画が開かれてきます。新しいことが始まってきます。

(文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

200981日 主日第二礼拝メッセージより