『主の軍の将』

               説教要旨 ヨシュア記515節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

・「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」

 この御ことばは、今年の年頭に、この主の十字架クリスチャンセンターに語られた御ことばです。ここに「主の軍」とあります。教会は「神の家族」ですが、それと同時に「主の軍」なのです。そして、その軍の将は、主ご自身であるのです。これから、神様は宣教という戦いを、今までよりさらに力強く進められます。その戦いは、個人でするものではありません。主の軍である教会によって、その戦いは進められ、神の勝利が与えられるのです。

・抜き身の剣を持った人

 この御ことばは、いつ与えられたのでしょう。エリコの近くにヨシュアが居たとき、抜き身の剣を持ったひとりの人が、前方に現れました。それは、そのまま突き進むと、その剣で切られる事を意味します。つまり、神様はヨシュアを止められたのです。この「抜き身の剣を持った人」とは御使いですが、聖書の中で、このヨシュアの時以外に2回出てきます。1つは、バラムの時です。(民数紀22章)彼は預言者でありました。その彼に、イスラエルの民と戦っていたモアブの王バラクが、勝利を得るために、預言を求めて来ました。初め、バラムはそれを断りましたが、しつこく求めたバラクと多くのもてなしに心を変えられ、預言を語るためにロバの背に乗り、モアブの者達と共に出て行きました。しかし、その道の途中、彼の前に御使いが抜き身の剣を持って立ちふさがったのです。また、ダビデ王の前にも、この御使いは現れました。(Uサムエル記24章)ダビデはサタンによって惑わされ、イスラエルの民の数を数えるように指示を出しました。そして、すべての民の数え終わった後に、ダビデのもとに預言者が現れ、ダビデの犯した罪に対する、神の裁きを告げました。神の裁きが行われ、いよいよ御使いが、その手をエルサレムに伸ばそうとしたときに、神はその手を止められました。バラムもダビデも、神様の御心に反したときに、抜き身の剣を持った人は現れているのです。

・神のストップ

では、ヨシュアはどのような状況で御使いが現れたのでしょう。彼はヨルダン川を神様の奇蹟によって渡りました。そして、モーセの後継者として立てられたヨシュアが、いよいよ占領に出て行こうとしたその時に、御使いは現れたのです。主はヨシュアを止められたのです。彼は主に聞き従っていました。しかし、主は止められたのです。この時、ヨシュアは主に聞きました。「あなたは敵ですか、味方ですか。」しかし主は、この問いには答えられませんでした。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」と、主は彼に言われたのです。つまり、敵でも味方でもなく、主がこの軍の大将である事を、ヨシュアに言われたのです。主は重要な事を語るとき、御心の中に歩んでいるときにでも、あえて主はストップされるのです。それは、パウロの「マケドニアコール」にも見られる事です。彼が宣教をすることは、御心でした。しかし、主は2度までの彼のアジアへの宣教を止められたのです。それは、その後の神様の大いなる計画の中で、非常に重要な事だったのです。私達の歩みにおいても、神がストップされることがあります。多くの人は落ち込みますが、そうではありません。神がもっと大きな計画を持っておられるからです。

・神のことばに従い、まっとうする

 この時、主はヨシュアに何を語られたのでしょう。この時主は、城壁の周りを7日の間周り、7日目には、7回周ってときの声を上げるように言われました。そうすれば、勝利できると言われたのです。それは戦略的に言えば、あまりにも愚かなものです。しかし、ヨシュアはその声に従いました。そして、主のことばの通りに彼らが従い、それをまっとうした時に、大地震が起こり、エリコの城壁は崩れたのです。主は約束の通りに、彼らに勝利を与えたのです。

 私達の前にも、多くの城壁があります。決して崩れないほどの城壁があります。しかし、私達が神様のことばに従いまっとうする時、その城壁は崩れるのです。神に崩せない城壁は無いのです。

神様に従って歩みましょう。その時に神の勝利が与えられるのです。

(文責 松本俊也)  

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

2010年10月10日 主日第2礼拝メッセージより