『主を見て喜び、主に遣わされる』

            聖書箇所 ヨハネの福音書201923節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

弟子たちはユダヤ人を恐れていました。自分たちがイエス様の弟子だとわかったらユダヤ人の指導者たちに捕まれられ投獄され殺されてしまう可能性があったからです。恐れていたので、弟子たちは一つのところに集まり戸を閉めていました。イェス様は弟子たちのことを心配し来られました。イェス様は弟子たちが恐れて閉めていた戸を通り抜けて入って来られました(復活した体はどうやら物質を通り抜けることができるようです)そして、弟子たちに「平安があるように」と一番最初に言われました。

 

イェス様は最も苦しい時に3年半、手塩にかけて大切にした弟子たちに裏切られました。しかし、一言の文句もなく恐れていた弟子たちを心配して「平安があるように」と言われました。私たちも神様に対して従えなかったり、誰かに対して取り返しのつかない失敗をして恐れてしまうときがあります。その時、イェス様は私たちを責めるのではなく私たちに平安を与えてくださいます。

 

弟子たちは復活されたイェス様をみて喜びました。日曜日の礼拝で私たちは復活されたイェス様を喜ぶために集まっています。絶好調の時もあれば、問題があまりにも大きすぎて恐れる時があるかもしれません。しかし、礼拝に来たら私たちはそういう状況に目を向けるのではなく、イェス様に目を向けるのです。その時、喜びが帰ってきます。クリスチャンは問題があってもイェス様が共にいるから喜ぶことができます。十字架にかかるほど私たちを愛し、復活され勝利されたイェス様に目を向け喜ぶ時に私たちがかかえている問題に勝利と解決をイェス様が与えてくださることを覚えてください。

 

イェス様は、裏切ってしまった弱い弟子たちに向かって「あなたがたを今でも愛し、あなたがたの選びも召しも変わらない。あなたがたでなければできない大事な使命を与えて遣わす」と言われました。弟子たちは非常に嬉しかったと思います。人は自分の使命や召しがあると輝いて生きます。みなさん一人一人が神様から用意されてる使命をもって遣わされています。そう思って家庭、教会、学校、職場、地域に遣わされている人と、そう思っていない人は全然違います。

主か遣わされた場所には主のみ手があります。みなさんが今置かれてる場所は主が使命をもってあなたを選んで遣わされました(もちろん時が来たら次の場所に遣わされる人もいます。)それを本当に受け止めると私たちは喜びが溢れ神の働きが始まってきます。単に仕事がうまくいくレベルではなく神の業が起こってきます。

イェス様は弟子たちに「聖霊を受けなさい」と言われました。もちろんこの時はペンテコステ前だから弟子たちは聖霊を受けていません。イェス様を救い主と信じた私たちには聖霊が与えられています。私たちが本当に聖霊に満たされて歩む時に使命を全うすることができます。

 

その後に赦しの問題がでてきます。神様の使命をおこなう時、必ず赦せないことが起きてきます。もし赦せないでいると聖霊に満たされません。神様の十字架の恵みからはずれていきます。赦していくと神様の恵み、力が現されていきます。裁きは神様のみ手の中にあります。私たちは赦し裁きを神様のみ手にゆだねる必要があります。相手が悔い改めれば赦されますが悔い改めなければ正しく神がさばいてくださいます。
赦す時、赦した本人が自由になり神様の祝福の業が現されてきます。

(文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長教会

2011年5月1日 主日第2礼拝メッセージより