『求めなさい』

                      聖書箇所 マタイの福音書7章67節  メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7章7節)

 

このマタイの福音書778節は有名な御言葉です。これは祈りの初歩、入門といわれてる箇所です。神に向かって求める、捜す、叩く、ここから祈りが始まります。私達は最初は神様に純粋に祈り求めますが、しばらく経つと求める事が弱くなってきたりする時があります。人の癒しの為には熱心に祈り求めたりしますが、自分の事になると祈りがつい諦めがちになる時があります。しかし私達はまず祈り求める事。ここから始まるのです。

 

神様の所、イエスキリストの所に求めに行く人に、神様が拒む事は一度もありません。人に求めた時、その思いは叶うかは分かりませんが、ですが、神様に求める時、必ず応えられます。でも私達の方から求めに来ないと何も始まりません。それに叩かなかったら何も開きません。それでも、多くの人が神様に願い求めようとしません。でも本気になって私達の目から見ても不可能だと思うような事でも、不可能の無い神様に願い求めるときに、その問題が開かれていくのです。

 

祈りは必ず聞かれます。御心に叶わない祈りは聞かれませんが、でもそんなに神様の御心は狭くありません。だからまず、諦めないで、こんなことを…と思わないで神様に祈ってみてください。その時に神様は聞いて下さります。ですからもっと大胆に私達は祈り求めるべきです。大事なのは神様に求めていく、という行為なのです。

 

また、求め続ける、捜し続ける、叩き続ける事。この続けていくという行為が必要です。応えられるまで継続していく事がとても大事なのです。神様に信頼して求めていきましょう。

 

多くの人がイエスキリストを信じて洗礼を受ける、リバイバルはもうすぐそこまで来ています。私達が求め続け信じ祈り、多くの人を迎える受け取る、備えの準備をしておきましょう。

 

(文責 野見山光一)

 

※ヨハネの福音書13115節より、「足を洗う」「赦しを受けとる」ということについても、メッセージがありました。
(
編集部)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2011522日 主日第2礼拝メッセージより