『キリストの十字架によって一つになる』

          聖書箇所 ピリピ人への手紙2111節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

ピリピ人への手紙2章12節に、「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、わたしの喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください」とあります。こういうわけですから、というのは1章にあなた方はキリストの福音の為に生きていきなさいと書かれている事を示しています。

 

パウロがわざわざこの事を書いているところを見ると、ピリピの教会の人たちは、心が一つになっていなかったことを意味します。一致を保つ事は容易ではありません。むしろ人の力では不可能でしょう。聖霊の助けがないと無理です。また3節には「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」と書かれています。自己中心や虚栄から動くと御霊の一致は生まれません。人を自分よりすぐれた者と思えないのは、ピリピの人だけではありません。これは私達人間すべての特徴です。

人間は皆自分が正しい、自分は間違ってないと自己主張します。それは相手の悪いところばかり見ているからです。しかし、私達がイエスキリストに目を向けるならば、見方を変えることができます。それはイエスキリストが神である方なのに、ご自分を無にして仕える者の姿をとり、人間と同じようになって下さって、神が神でない姿をとり、私達の罪の為に十字架に架かり、よみ(≒地獄)にまで下られたからです。この地上を造られた一番高いところにおられた方が、一番低いところまで下られたのです。

 

この方がいるから、私達は希望がもてるのです。十字架の前に悔い改め、この方により頼むなら、どんな最悪な状況でも、下から私達を助けて下さるのです。だからクリスチャンに絶望はないのです。この方だけが希望に変えてくれるのです。そのイエス様の元に来て、神様を褒めたたえるなら、私達は心を一つになれるのです。キリストからくる慰めと励ましによって、御霊の一致がなされ、志を一つにできるのです。

 

私達も神様の前に出て祈り求める時、御霊の一致が与えられていきます。その時に神様の業と奇蹟を体験していきます。それがクリスチャンの喜びです。

 

(文責 野見山光一)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長教会

2011年8月28日 主日第2礼拝メッセージより