『神様への信頼する者が見る祝福とその秘訣』

                    説教箇所 ダニエル書61623節 メッセンジャー 松本俊也牧師

・神に信頼し続けたダニエル

エルサレムがバビロンによって陥落した際、ダニエルを含む4人の少年が捕虜として連れて来られました。彼らにとって異国の地であるバビロンには、当然の様に偶像崇拝がはびこっていました。しかし彼らは決してその偶像崇拝に屈せずに、真の神様だけに仕え続けました。そんな彼らを、神様は豊かに祝福されました。

その結果、捕虜として連れて来られたダニエルは、国の権力者である3人の大臣の内の1人になりました。数多くの太守や大臣がいる中でも、主の霊に満たされていた彼の働きはきわだっており、ダニエルを多くの人々が慕いました。そして王までもが国政について、全国を彼に治めさせたいと考えました。

しかし、彼の活躍を見て、おもしろくないと思った者たちがいました。彼と同じ2人の大臣と太守たちです。彼らは何とかダニエルを訴えるために口実を見つけようとしましたが、忠実なダニエルには口実も欠点もありません。そこで彼らは王を言いくるめて、ある法律を作ります。それは「王様以外に、礼拝し祈ってはいけない。」というものです。これはとんでもないことです。なぜならば、偶像崇拝を国の法律にしたということだからです。

当然、ダニエルはその法律に従うことは出来ません。その結果、法律を破った者として獅子の穴に投げ落とされ、処刑されることとなりました。しかし、穴に落とされて夜が明けたとき、王がダニエルに呼び掛けると、なんと彼はまったく無傷のままで穴から出てきました。獅子がおとなしかったのではありません。牙もあれば爪もあり、獰猛な獅子です。しかし、その獅子が彼を襲わなかったのには理由がありました。「彼が神に信頼していたからである。」(23節)ダニエルが神様を信頼した事により、彼は何ひとつ傷を受けなかったのです。そればかりか、彼を陥れようとした者たちは、その妻子とともに獅子の穴に投げ落とされ、ダニエルは圧倒的な勝利を得るのです。

獅子と対峙した事がある人は少ないでしょうが、Tペテロ58節「悪魔が、ほえたけるししのように食いつくすべきものを探し求めながら、歩き回っています。」とあるように、獅子よりも獰猛で狡猾な悪魔と対峙している人は多いと思います。しかし、その悪魔を前にしても決して恐れてはいけません。主に信頼していれば、勝利が与えられるからです。神様を信頼する時、私たちは多くの神様の祝福を見ます。なぜなら聖書はこのように言っているからです。『彼に信頼するものは、失望させられる事がない。』(ローマ1011)

・信頼=信仰

ダニエルにとってこの処刑は不当なものです。同じように私たちも、ある場合は不当と思えるような困難に出くわすかもしれませんが、そんな時に、果たして信頼を続ける事が出来るでしょうか。

実は、私たちが神様を信頼するにはある秘訣があります。聖書には信頼ということばが多く出てきます。信じて頼るということ、それはつまり信仰です。実はこの信仰こそが、信頼する秘訣なのです。

彼を訴えるために、大臣たちが不当な法律を作ったことを聞いたダニエルは、その足で自分の家に帰りました。そして彼はあることを始めました。「いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」(10節)彼は、法律を聞いたにも関わらず、神様に祈り、感謝したのです。彼は信仰を用いました。「いつものように」とあるように、彼の生活の中に、これは定着していました。毎日、毎日、忙しい働きの中でも、神様との生きた交わりをダニエルは持ち続けていたのです。だからこそ、彼は絶体絶命のピンチにあった時にさえも、神様に信頼し続ける事が出来たのです。

人間同士でもよく分からない相手を信頼できないように、神様との関係でも、毎日の生きた交わりをなしに、信頼する事は難しいものです。信頼するためには、毎日の生きた交わりが必要です。「いざという時の神頼み」でも、神様は助けで下さいますが、多くの場合、ししのような悪魔に傷つけられ、痛めつけられた後でしょう。

 

日々の生活の中で、主と交わり、主の祝福を見ましょう。そうすれば、どんな困難があっても、神様に信頼し続けるための信仰が育まれていきます。それは、神様の祝福の秘訣です。なぜなら、神様に信頼するものは、決して失望させられる事がないからです。                              (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

201218日 主日第2礼拝メッセージより