『教会に与えられた大宣教命令』

              説教箇所 マタイの福音書281620節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

このマタイの福音書26章はイエス様が弟子達に福音を述べ伝えよと語られた大宣教命令の事が書かれています。16節に「しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。」と書かれています。これはイエス様が十字架にかかられた後、三日後によみがえって現れた4回目の出来事です。1回目はエルサレムで現れ、2回目は12弟子の一人であるトマスの前に現れ、3回目は夜通し漁をして1匹も魚が取れず落胆していた弟子達の前に現れ、そして4回目、11人の弟子達が集まっているところにイエス様は現れます。そしてここで、全世界へ出て行って全ての人に福音を述べ伝えるようにと弟子達に告げます。

イエス様は指示された山に弟子達を呼び集め、弟子個人に語ったのではなく、11人揃っている弟子達に告げました。群れに語られたのです。使徒の働き2章のペンテコステも個人に聖霊が臨んだのではなく、11人の弟子達を始めとする120人集まった群れに聖霊が臨まれたし、またローマ人への手紙を始めとした書簡も教会に宛てた手紙です。新約聖書を見てみますと教会を主体とし、単位としています。神様はもちろん個人にも語られるし、御業も行いますが、教会を通して行われるのです。教会が神様の声に応答して動く時に、召しは成就していくのです。

教会は召しを受けています。すべての信徒の方が宣教者ではありません。しかし、それぞれが出来る伝道のやり方がありますし、やる必要があるのです。ペンテコステの時、弟子達はローマ兵達に恐れおののき弱さの中にあり、また全世界に出て行けるほどの知識と語学と財力は兼ね備えてはいませんでした。でもイエス様はそんな事は承知の上でこの弟子達に大宣教命令を命令し、そして託しました。その後弟子達に聖霊が臨み、イエス様の言葉に応答して動き、訪れた先々で神様の御業と祝福がありました。海外宣教を行う時、お金も時間も労力も使います。人間的に見たら与えるばかりでメリットがあまり無いように思えます。しかし、世界に目を向け、福音の為に惜しみなく与える時、神様から祝福を受けるのです。

余裕のある時に宣教を行うのではなく、余裕の無い中で時間やお金、労力を使う。といった痛みのある代価の伴った愛情を持って捧げる時、神様は大きく働き、そして祝福が訪れます。

 

神様の声に従い進んだ時、行きなさいと言われた場所に従って行った時に、聞いて与えられる神様の語りかけがあります。弟子達はイエス様に語られたとおりにその山に登り、そこで大宣教命令を語られたのです。

また18節に、イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」と書かれています。イエス様はこの世の全権限をお持ちです。イエス様が命令すれば、病気もサタンも自然の法則も従わなければならないのです。これがこの箇所に書かれている“いっさいの権威”です。イエス様は弟子達に、私がこの“いっさいの権威”を持って命じるから恐れないで全世界に出ていて福音を述べ伝えよと語ったのです。それを踏まえて19節で「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」と語っています。イエス様はあらゆる人を弟子としなさい、バプテスマを授けなさい、命じた全ての事を守るように教えなさい、この3つを告げています。この教えを“行って”行いなさいと言っているのです。

痛みを伴った代価のある心と愛を捧げ宣教を行って行う時、神様が共にいて下さり、そして大きな神様の御手が動く宣教の働きと祝福があります。

(文責 野見山光一)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

2012115日 主日第2礼拝メッセージより