『すでに受けたと信じる』

              説教箇所 マルコの福音書112225節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

・神を信じる

 『イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。」』(22節)当然のことの様に感じるかもしれませんが、これはただ闇雲に信じると言っているのではありません。神は私たちに最善しかなさらないこと、私たちを祝福してくださること、必ず勝利を与えてくださるということを、信仰を働かせて信じるということです。具体的に言うならば、例え問題や困難が生じたとしても、その後ろに私たちの考えをはるかに超える神様の祝福があることを信じて感謝をするのです。つまり神を信じるとは、神様が与えてくださったことばに立って、信仰を働かせることです。神様はことばを与えられますが、これには2通りあります。1つは特別に語られていなくても、すべてのクリスチャンが与えられている神様のことば。もう一つは、特別に与えられて語られている神様のことばです。

 この主の十字架クリスチャンセンターに特別に与えられていることばの一つとして、「リバイバル」があります。

日本という国は、世界的に見ても非常に霊的な縛りと圧迫が強い国です。実際にこの国のクリスチャン人口率はイスラム圏よりも低く、イスラエルと並んでクリスチャンが少ないのです。しかし、神様はこの国に対してリバイバルの約束を与えてくださいました。この厚い霊の壁の向こうに、リバイバルという神の計画があるのです。

 

・疑わない

 「疑わず」(23節)とありますが、信じきって疑わないでいられることは、聖霊の注ぎかけが特別に無い限りで来ません。では、疑わないとはどういう意味でしょうか。それは、疑いは来るけれども、その疑いに立たないで、神のことばに立ち、信じることに立つということです。

どんな人でも、恐れや不安、疑いは来るでしょう。特に私達が信仰に立って告白し、それが本当に神様から与えられたことばであればあるほど、敵対するサタンが潰しに来るので、疑ってしまうことがあります。しかし、その時に惑わされてはいけません。神のことばに立ち、疑わずに告白し続けてください。神の時が来たときに、その告白は必ず成就します。

 

・受けたと信じる

 「祈って求めるものは何でも、受けたと信じなさい。」私達はまず、神様に祈って求めなければいけません。そして、神様からことばが与えられて、確信が来たならば、それはすでに受けたと信じるのです。

人は変わってしまいます。しかし、神様はご自身が約束されたことは、必ず成就して下さいます。その神様を信じて歩んでいきましょう。それがほんの小さなからし種の信仰であっても、信じて歩んでいくならば、私達は、神様の祝福を見ることが出来るのです。

 

最後に赦しのことが書かれています。聖書の中では、祈りについて書かれている多く箇所で、共に赦しが出てきます。これは大切なポイントです。祈りと赦しはセットなのです。

 

神様のことばをいただき、そして、それはすでに受けたと信じて、歩んでいきましょう。その時に、神様の計画が豊かに現れ、たくさんの神の祝福を見ていくことが出来るのです。。

 

 (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012
219日 主日第2礼拝メッセージ