100倍の祝福のポイントは神のことば』

                 説教箇所 マタイの福音書131~9節 メッセンジャー 松本俊也牧師

・種まきのたとえ

イエス様は群衆たちに種まきのたとえを持って教えられました。それは100倍の祝福を受けるという事でした。現代の発達した技術であれば、たった1つの種からでも多くの収穫を得る事は出来るでしょう。しかし当時のイスラエルの土地を考えると、それは不可能なことです。せいぜい、12つの実が生ればよいほどです。しかし、その時代にイエス様は、種まきの例えを持って、100倍の祝福を受ける事が出来ることを教えられたのです。

ここでイエス様が語られた種とは、神のことばの事を指しています。つまり100倍の祝福を受けるためのポイントの第一に神のことばが必要であることが分かります。神のことばが実を結び、神のことばに力があり、神のことばが勝利を与え、神のことばが私たちに祝福を与えるのです。

・種がまかれた4つの地

では、イエス様はこの種まきの例えを通して何を教えられたのでしょうか。ルカの福音書の平行箇所である8章には、この良い地とは「良い心でみことばを聞くこと。」と書かれています。つまりこの例えを通してイエス様は、100倍の祝福を受けるためには、心の状態が重要であることを教えておられる事が分かります。その例えとしてイエス様は4つの地を語られました。道ばた、岩地、いばらの中、そして良い地です。その中で良い地に落ちた種は100倍の実を結び、他の種は実を結びませんでした。なぜならば良い地以外のそれぞれの地には、欠点があったからです。私たちが100倍の祝福を受けるためには、良い地になる必要があります。では、良い地とは何でしょうか。イエス様が話された4つの地のうちの3つについては、次のように書かれています。道ばたに落ちた種は、鳥がやって来て取って行ってしまい、岩地に落ちた種は、根がなくて枯れてしまいました。そして、いばらの中に落ちた種は、いばらが成長を妨げられました。しかし、良い地のことは、ここでは具体的には話されていません。実は、その答えは1319節以降に書かれています。道ばたに落ちた種は、鳥が来て食べられました。守るものが無かったからです。現代では、農作物を作る際にはビニールハウスを用います。実はビニールハウスとは非常に高価なものなのですが、それを使うのは、外敵から農作物を守るためです。同じように、私たちにも神のことばという種を守るものが必要です。それは教会です。私たちが教会という守りの中にいれば、外敵から実を取られる心配はありません。岩地に落ちた種は、根が無いために枯れてしまいました。根は養分を吸収します。そして、しっかりとその場所にとどまるための役割があります。私たちもしっかりとした根がなければなりません。それは祈ることです。祈りを通じて、私たちは主と交わりをなし、養分を受けて、しっかりと神のことばに立ち続けることが出来るのです。いばらの中に落ちた種は、そのいばらによって成長が妨げられました。いばらがあったために、十分に日の光を浴びることが出来ないからです。私たちもこのいばらを取り除く必要があります。私たちの成長を妨げるものとは何でしょうか。それは、罪や不信仰です。これらが私たちとってのいばらです。これらのいばらを取り除くために、悔い改めなければいけません。罪と不信仰は、妨げるからです。

ある方は、自分が今いる場所が、悪い地に思えて仕方がないかもしれません。しかし、感謝をし、悔い改めていくならば、その地さえも良い地にすることが出来るのです。

 

 神さまは私たちに多くの祝福を与えてくださいます。その祝福のカギは神のことばです。そしてその神のことばが実を結ぶために、私たちは良い地にならなくてはなりません。すでに主は多くの種を与えられているのです。その種が実を結ぶとき、私たちの力では決して得ることの出来ない、100倍、60倍、30倍の実を結ぶことになるのです。まず神のことばを受けて、多く用意されている、主の祝福を見て行きましょう。

(文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012
415日 主日第2礼拝メッセージ