『主に従って踏み出す』

                 説教箇所 ヨシュア記139節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

モーセは最高の指導者でした。モーセは荒野を導くことが使命でした。荒野の40年の後、モーセが天に召され、ヨシュアの時代に変わりました。ヨシュアは、カナンの地の占領が使命でした。

私たちの人生も神様の使命が開かれる前に、荒野を通る時があります。また、教会が本格的な使命に入る前に荒野を通ることがあります。イエス様も御霊に導かれて荒野に行き、四十日四十夜の断食をされました。その後、本格的な宣教が始まりました。

主の十字架クリスチャンセンターの群れにおいても、神のしもべ長崎教会においても、荒野を終え、いよいよ占領の時に入っています。去年の9月から主の十字架クリスチャンセンターの海外宣教が第二章に入り、11月のイスラエル派遣でそれがはっきり現れて大きく流れが変わってきました。いよいよ働きが本格的になっています。

荒野の時が終わり、神様がカナンの地を占領するようにヨシュアに命じました。ヨシュアは信仰に立っていましたが、恐れました。神様の御心に踏み出そうとする時、恐れや不安がきます。それは不信仰ではありません。人間であれば、恐れや不安がくるのは当然です。旧約中、最も勇士だと思われたヨシュアでさえ恐れたので、神様は「強くあれ。雄々しくあれ。」と言われました。

神様は「律法を守り行い口ずさむように」とヨシュアに言われました。この時まだ聖書は完成していないので、ヨシュアの時代の律法の解釈は、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を意味します。
新訳時代の今は、聖書を意味します。聖書のみことばを読むと、恐れや不安が来ても勇気が湧きます。みことばに触れると、私たちの内に平安、喜び、力が与えられます。

人のことばはひとときの慰め、平安を与えます。でも、サタンが本気になると人のことばの支えはあっけなく崩れ去ります。しかし、神のことばは、サタンに打ち勝つ力があり、私たちを堅く立たせます。だから、神のことばに触れること、つまり、聖書を読むことは重要です。サタンは私たちから神のことばを奪おうと必死です。そのため教会のデボーションを読んでください。時間がある方は10章読んでみてください。神のことばに触れ続ける人は、人生が一新されます。

神様はヨシュアに「カナンの地に行きなさい」と言われました。ヨシュアのように、神様が私たちに語ってこられる時があります。神様が私たちの人生に新しいことを語られた時、過去に縛られたり、恐れて踏み出せないことがあります。その時、神様のことばに立つと、踏み出す力が与えられます。踏み出す時、神様が勝利、祝福をくださいます。

神様は、レバノンから大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでがヨシュアたちの占領地であると言われました。これは本来、イスラエルに与えられた広大な素晴らしい領土で「大イスラエル」と言われます。ところが、今のイスラエルは不信仰の結果、狭い領土になってしまいました。
本来、神様が私たちに与えてくださる祝福はとても大きいのです。ところが、多くの人が自分の意識や思索の中で神様の祝福を狭く小さくすることあがあります。その結果、神様が与えてくださる祝福を十分に受けれないことがあります。天、地、宇宙を創り、時間も創造され、歴史を導いておられる真の神様を私たちは信じているのです。神様は私たちを溢れるばかりに祝福してくださる方です。どうか神様の語られることばに応答して踏み出していただきたいと思います。

(文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012
56日 主日第2礼拝メッセージ