『恵みとまことに満ちた神』

              説教箇所 ヨハネの福音書 11418節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

・神様の子の特権

バプテスマのヨハネはこの地上で最も優れた人でした。しかし、彼自身は光ではありません。ここでいう「光」とは「キリスト」を意味します。彼は、キリストについて証しする者です。私たちがイエス様を信じたとき、私たちが光になるわけではありません。しかし、イエス様を信じたとき、イエス様の光が私たちの内で輝いてくださるのです。そして、そのイエス様を信じたものには、神の子どもとされる特権が与えられているのです。

私たち人と人の親子の関係でも、親は子を愛します。確かに例外もあります。それは親自身が、子を愛することを出来ないほどまでに、傷ついている場合です。その場合はその傷がいやされるように、とりなして祈る必要があります。しかし、多くの親が子を無条件に愛するように、神様も私たちを無条件に愛してくださいます。しかしそれは、甘えた愛ではありません。神様は私たちを、より祝福するために、成長させるために、試練や訓練を与えられます。そして、自分の足でしっかり立って歩めるようにしてくださるのです。

 

 イエス様は人となって、私たちの間に住まわれました。「住む」ということは、簡単なことではありません。「住む」ことは「生活する」ということです。しかし、イエス様はそれをなしてくださいました。神様であった方が、私たち人間と同じところに来て、私たちの間に住んでおられるのです。学校でも職場でも、どこにいってもイエス様はいつも共にいてくださるのです。

 

・恵みとまことに満ちておられる方

 神様の恵みには制限などありません。ですから私たちは信仰によって制限なく祝福を受けることが出来るのです。もちろん律法は大切です。しかし、私たちはその律法を守って生きていくことは出来ません。しかし、イエス・キリストが十字架にかかって、私たちの罪の身代わりとなってくださったので、私たちは律法によってではなく、恵みによって歩んでいくことが出来るのです。

 私たちが救われたのは、恵みによるものです。しかし、実に多くの人がその恵みを受けることをとどめています。なぜなら信仰によって歩むことをしないからです。

恵みとは、私たちが何かふさわしいから与えられるものではありません。恵みとは、受けるにふさわしくないものが受けるものです。ですから、もっと神様の恵みを受けて良いのです。私たちが恵みを受けると、人々は希望を見出します。それは結果として多くの救いにつながることです。

 

与えられた、神様の子としての特権を用いて、もっと多くの恵みを受けていきましょう。恵みとまことに満ちた神様は、私たちを豊かに祝福して下さいます。

 

 (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012
617日 主日第2礼拝メッセージ