『そのとおりにすると―神様の言葉に従う祝福―』

                        聖書箇所 ルカの福音書51節〜11 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

イエス様はガリラヤ湖の岸べに立って群衆に神のことばを語られていました。その時岸べに二そうの小舟があるのをご覧になりました。漁師たちは舟を降りて網を洗っていました。シモンとおそらくヨハネの小舟だと思われますが、彼らは漁師のプロでした、残念ながら前の晩に夜通し働き、一晩かけて漁をしたにもかかわらず何もとれませんでした。趣味ではない生活のための漁ですから、取れる時間に取れる場所にいったにもかかわらずです。ショックでしたでしょうし困っていたと思います、しかし大切な漁のための道具である網は洗わないといけないので洗っていた所にイエス様は来られて陸から少し漕ぎ出すように頼まれたのです。

そしてイエス様は舟から群衆を教えられました。その後イエス様はシモン(ペテロ)に対して個人的に語りかけて来られたのです。「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と、おそらくシモン(ペテロ)たちは網を洗い終えたころで疲れていたでしょうし、帰って寝るぞっと言うときにでした。深みに漕ぎ出してですから、もう一度本格的にやりなさい、本気で漁に出なさいという事なのです。これはきつかったと思います。せっかく洗った網をもう一度出してやるという事でしたから。シモン(ペテロ)たちは、魚が取れるギリギリの時間まで頑張ったはずですし、もうこれ以上やっても無理な時間になったので帰って来ていたのです。人間的に言えばイエス様は大工でしたので、漁に関してはシモン(ペテロ)たちの方がプロで詳しかったからです。ですから思わずシモン(ペテロ)は、5節〜「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉通り、網をおろしてみましょう。」と言ったのです。こんな時間から舟を出しても無理だろうと思ったからです。でもシモン(ペテロ)はそう思いながらも、イエス様が言われるなら言われる通りに網をおろしてみましょうと語られた事に従いました。

 

神さまが私たちに語って来られる時に物凄く納得できて、その通りにしたほうがいい、そうしようと思える事を語って来られる時と、なんでこんな事を語られるんだろうと理解できなかったりわからなかったりする事を語って来られる事があります。この時のシモン(ペテロ)も同じでした。人間的には無理だとわかっていましたし、理解もできていなかったのです。しかしイエス様の言われた通りに従いました。ここにカギがあります。

 

6節〜「そしてそのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。」と、あります。イエス様の言われた通り、そのとおりにした時にたくさんの魚が取れ大漁になったのです。前の晩、一生懸命頑張って漁をしたにも関わらず、一匹も取れなかったのに神様の言われたとおりにした時に網が破れそうになる程たくさんの魚が取れたのです。

私たちも一生懸命やったのに上手くいかなかったりすることがあります、しかしそこで落ち込まないでください、何かこの後にあるぞとクリスチャンは期待できるのです。

 

7節〜シモン(ペテロ)がイエス様の言われた事に従って魚が大漁に取れたことにより、自分の舟だけでは乗せきれないので仲間の船に助けに来てもらい二そうとも沈みそうになりました。これはどういうことかというと、神様のことばに従う時自分が祝福されるだけではなく、他の人にまで溢れるほどの祝福が及ぶと言っています。これが神様のことばの力なのです。

 

シモン(ペテロ)は一匹も取れない夜を通過しました。その後、神様のことばに従った時に神様の業、栄光を見ました。私たちの人生にもいろんなことが起こります。一生懸命がんばって上手くいかない時に、あきらめたり、投げ出したりもうだめだと決して言わないでください。十字架にかかるほどに私たちを愛して下さったイエス様がおられるからです。

このイエス様が私たちに語り、言葉が与えられたなら(吟味はして下さい)その言葉に従いましょう、従う時に神様は私たちを祝福してくださり、その祝福は他の人にまで及ぶという事を覚えて、歩んでいただきたいと思います。

 (文責 井上洋)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012
1118日 主日第2礼拝メッセージ