『再び使命に立つために〜私たちを励ます神様の愛』

                 聖書箇所 T列王記19119節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 エリヤはバアルの預言者たちに対して、勇敢に戦い、圧倒的な勝利を得ました。彼は神様の栄光とイスラエルの民のために戦ったのです。彼は聖書を通して見ても代表的な奇蹟を行う預言者です。

 

・人の言葉に縛られる

 敵であるアハブは、エリヤのことを妻イゼベルに伝えました。イゼベルは使いを送り「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたがたのいのちをあの人たちのひとりのいのちようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」とエリヤに告げました。イゼベルの使者が言った言葉を聞いた途端、彼は恐れ、自分を守るために立ち去りました。そして自分の死を願って「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。」と言いました。バアルの預言者にあれほどの勝利を得た彼は、これほどまでに弱くされたのです。

 なぜ彼はこれほど弱くされたのでしょうか。それは、彼が人の言葉に心を縛られてしまったからです。バアルの預言者に勝利した時、彼は確かに神様のことばを聞き、戦い、勝利ました。しかし、この時の彼は、イゼベルの言葉に縛られてしまったのです。このイゼベルの言葉の背後に悪霊の力が働いていたと思われますが、彼の心は、その言葉に突き刺されてしまったのです。

 人は、人や悪霊の言葉に縛られてしまう時に、恐れ、弱くされます。そして自分のいのちを守るために立ち去って行ったエリヤのように、自分のことを守ろうとするのです。私たちクリスチャンは、神様のために、または誰かのために生きるときに輝きます。しかし、悪霊の言葉に捉えられて自分のために生きようとした時には、その輝きを失い、恐れ、弱くなってしまうのです。

 

・エリヤを励ます神様の愛

 弱くなり、その場で眠ってしまったエリヤでしたが、神様は天使を遣わして彼をさわって言われました。「起きて、食べなさい。」どれほど大きな愛でしょうか。神様は弱り果てた彼を責めるのでもなく、休ませ、やさしく手をおいて、食事を与え、弱くなった彼の心と体を力づけてくださいました。私たちにとって、霊的な祝福は非常に大きなものです。しかし、同時にこの地上で生きている私たちにとって、肉的な祝福も大きなことです。

 バアルの預言者450人との戦いを終えて、目的を成し遂げたエリヤはホッとしていたでしょうし、緊張が緩んで疲れもあったでしょう。お腹も空いていたでしょう。そして、そこに来て放たれたイゼベルの言葉は深く彼の心を刺したと思います。そのエリヤを神様はさわって起こし、食事を用意してくださったのです。

 食事をしたエリヤは、また横になりました。まだ睡眠は十分ではなかったのです。神様は彼に再び休息を与えた後、起こして食事を与え、今度はこのように言われました。「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」神様はエリヤに十分な休息を与えた後、まだ使命があることを彼に伝えられたのです。

 彼はこの後、その食べ物から力を受け歩き始めました。再び前に向かって歩きだしたのです。

 

・確かに聞こえるかすかな細い声

 この後、彼は40日間歩いてホレブの山に行きました。そしてそこでかすかな細い神の声を聞きました。かすかな細い声を聞くためには、心を向けなければなりません。しかし、その細い声は確かに聞こえてくるのです。

 彼はこの後、再び使命に立ちました。エリヤが特別だったのではありません。同じ弱さを持つ人間です。しかし、その私たちを通して、神様は奇蹟を現わされるのです。神様のことばに従って行きましょう。

 (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2013年2月17日 主日第2礼拝メッセージより