『喜びなさい』

                 ピリピ人への手紙44節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

主にあって喜ぶ

「いつも主にあって喜びなさい。」と、神さまは命令しています。いつも喜ぶことは不可能です。しかし、神さまは無理なことは言いません。私たちが信仰を用いれば、できるのです。カギは、「主にあって喜ぶ」ことです。私たちの生まれつきの性格や本能では、喜べないことが多いでしょう。

イエス様は、目には見えなくとも、いつもともにいてくださいます。その神さまと、生きた交わりをするなら、その交わりの中で、どんなつらい状況でも最悪の状況でも、喜びがくるのです。

イエス様は決して見捨てない

イエス様は、決して私たちを見捨てることはありません。見捨てるようなことは、聖書には一言も書いていません。「地の果てに行っても私はそこにいる」や「海の中を歩くときもそこに私はともにいる」、「私は決してあなたを見捨てて離れない」とあります。

罪をおかしても、悔い改めたら、もう赦されているのです。「私はあなたの罪を思い出さない」とあるのです。また、「あなたを手のひらに刻んで」とあります。当時のイスラエルでは、恋人や、本当に愛する子の名前を手のひらに刻んで、握りしめて胸に置く習慣があったのです。

喜びを失わないように

『ピリピ人への手紙』は「喜びの書簡」と呼ばれています。この書簡はパウロが書いたのですが、当時パウロは獄中にいました。獄中のパウロが、獄中にいないピリピ人へ「喜びなさい、喜びなさい」と書いたのです。

私たちが喜びを失うときの特徴は、自分自身のことに目が向いて、とらわれて、神さまや他の人に目が向かないとき喜びを失うのです。不安や恐れにとらわれてしまうのです。自分自身から解放されて、神さまや、神さまが示す他の人に目が向くとき、自由になり、喜びが返ってきて、神さまのものを受けるのです。これが、クリスチャンの特徴です。ピリピ人をどうにかして励まそうと、パウロは神さまと人々に目が向いていて喜んでいることができたのです。

神さまは、約束を成就されます。人は、守りたいと思っても、守れないこともあります。神は裏切りません。ともにいる主を喜ぶこと、主に心を向けて「この方は約束を破らない」「最悪からも益としてくださる」ことを期待して喜んでください。すでに成就されたことがあったら、「だから大丈夫」そのことを喜んでください。だから、「いつも喜んでいなさい」なのです。

 

 (文責 石田雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2013年3月17日 主日第2礼拝メッセージより