『主がお入用なのです』

                ルカの福音書192940節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

この時のイエス様はいやし奇蹟の業をなし、最も人気絶頂の時でした。人々は「祝福あれ。主の御名によってこられる王に」と喜んでいたのです。しかし、この同じ週の金曜日十字架上で死なれました。

エルサレム入場の時イエス様は「白馬」に乗って入場されたのでしょうか。イエス様は「白馬」ではなく「ロバの子」を用いられました。ロバは背が低く、決して格好良くありません。ですから、イエス様は誰よりも低くなって入って来られたのです。

ロバは朝から晩まで働き、鞭打たれながらも、忠実に確実に働きます。ロバは形容詞をつけると「愚鈍」おろかな者と言われます。しかし、神様は能率よく効率よくうまく立ち回れるものを選んだのではなく、忠実な者を選ばれたのです。

戦いに用いるのは「馬」でしょうが、神様は「子ロバ」に乗り、戦う為ではなく十字架で私たちを赦し、赦しと和解の為に来られたのです。

 

神様は、忠実に歩んでいる人を選び、神の奇蹟と栄光を表されます。私達が、どんなにのおろかにみえても、どんなに鈍くても 直ぐに芽が出なくても神様は知っておられます。小さなことに忠実なものは、大きなものに忠実なのです。人はすぐに結果や効果を見たがり、何も起こらないとまるで「神様が見ていない。祈りは聞かれていない。」と思います。しかし、決してそんな事はありません。主は忘れていません。そして主は聞いておられます。主は見て下さっています。そして、主の時がくると、神様はご自身の手を伸ばされます。主の手が動き始めたら誰もそれを止める事はできないのです。誰もそれを妨げる事は出来ません。それは、私達の計画や思いと大きく違うかもしれません。

ロバの子を選ばれた神様は私たちが弱くても小さくても忠実になして行く時、私たちを呼び、選んで下さいます。できるからではなく、能力があるからではなく、本当に主を愛し忠実であるかを、神様は見ておられます。イエス様はロバの子を選ばれました。同じように私たちの名を呼んでくださいます。

 

イエス・キリストは主ですから「向こうの村の、あのロバを連れて来なさい」と言ったように、「予知」する事ができ、名指しで呼ばれます。神様は誰でも良いから、丁度そこにいたからあなたを選んだのではなく、あなたを名をもって選ばれたのです。私達ひとりひとりをそのように選び、学校・職場・家庭、それぞれをそこに置かれています。

「神様が私を名をもって選んで下さり、私を今ここに置いて下さっている。このイエス様と一緒に歩めば、きっと神様の祝福を受ける事が出来る」と信じている人は神様の祝福を必ず見ます。
共に、主の栄光の御業を見てまいりましょう。

(文責 山本美津子)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2013
324 主日第2礼拝メッセージより