『意識して信仰を用いる』

          聖書箇所 Tテサロニケ人への手紙51618節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

「いつも喜ぶ」

私たちの肉はいつも喜ぶことはできません。困難や問題が起きると、悲しんだり、落ち込んだりするのが私たちの感情です。だから、意識して喜ぶ必要があります。イエス様が私たちに願っていることだから喜ぶことを選ぶのです。そして、今、理解できなくても神様が最善をなしてくださっていてこの向こう側に素晴らしい計画を用意してくださっていると信じ喜ぶのです。その時、神様のみ手が動きます。

「絶えず祈る」

絶えず祈ることは私たちの肉にはできません。しかし、異言があると絶えず祈ることができます。イエス様の十字架の救いを信じ聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンは誰でも異言を語ることができます。異言があれば、車を運転したり何かをしながら祈ることができます。ただし、祈りの中心は異言ではなく、ことばが中心です。自分が一番理解できることばで祈ることが祈りの中心です。また、異言を用いて祈ることは私たちの内なる霊を強めます。

「すべてのことについて感謝する」

人は神様が良くしてくださったことを忘れる傾向があります。だから、詩篇103篇には「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と書いてあります。私たちは神様が良くしてくださったことを思い返して感謝する必要があります。神様が良くしてくださったことを感謝する時、信仰が湧いてきます。

また、マイナスも感謝する必要があります。神様がすべてのことを感謝することを望んでいるから感謝するのです。私たちの肉にはすべてのことを感謝する力はありませんので、意識して感謝することを選ぶのです。

神様はマイナスをゼロではなくプラスにしてくださいます。マイナスが大きければ大きいほどプラスになったときの喜びは大きいです。

聖書を見るとダビデほど祝福された人はいません。ダビデは千代に至る祝福を受けました。なぜこれほどの祝福を受けたのでしょうか。

ダビデは姦淫と殺人の罪を犯しました。しかし、ダビデは真実に悔い改めました。確かに悔い改めは重要です。ですが、ダビデが悔い改めたから祝福されたのではありません。ダビデはどんな困難があっても神様に感謝と賛美を捧げ神様に聞き従いました。このように信仰を用いたのでダビデは誰よりも祝福されたのです。

神様にえこひいきはありません。神様はどの人も本当に愛しておられます。どの人にも祝福を与えたいと願っておられます。生きている限り、試練、問題は起こります。そこで信仰を用いる人はダビデのように神様から溢れるばかりの祝福を受けます。

すぐに応えられる場合と忍耐を通る時があります。しかし、忍耐の末に神様は必ず大いなる逆転の勝利を与えてくださいます。

(文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2013年5月5日 主日第2礼拝メッセージより