『罪の赦しという偉大な恵み』

               聖書箇所 ルカの福音書19110節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

・ザアカイ

イスラエルで名前はその人の本質を表すものでした。ザアカイとは「純粋・清さ・正しい」という意味を持ちました。しかし、このザアカイは取税人でした。ユダヤ人たちから税金を取り立てる仕事をしていたのです。

当時のイスラエルはローマによって支配されていました。ローマは自分たちで税金を取り立てるのではなく、同じユダヤ人に税金を取り立てさせました。ユダヤ人たちはこの取税人を、罪人と並べるほど嫌いました。同胞から奪っていく姿は、売国奴のようだったからです。

確かにザアカイは立場もあり裕福でした。しかし、同胞たちには嫌われており、恐らく自分自身でもそんな自分を嫌ったことでしょう。まさに孤独だったのです。そんな彼の住むエリコという町に、イエス様が来られました。彼は何としてもイエス様を、その目で見たいと思いました。ライ病人さえもいやされたイエス様ならば、こんな自分にも何かしてくださるかもしれない、孤独だった彼はそう思ったのでしょう。

 

私たちの周りにもきっと、ザアカイのような人がいます。表向きには見せないと思います。しかし、心は痛んでおり、渇いていて、孤独を歩んでいる人がいるのです。そんな人にとって、本当にイエス様と共に歩んでいるクリスチャンを見ると、その人に魅かれていきます。人に魅かれているのではありません。私たちの中に、共におられるイエス・キリストに魅かれるのです。

 

・罪

 イエス様を見ようとしたザアカイでしたが、彼は背が低く、多くの群衆のためにイエス様を見ることが出来ませんでした。またイエス様の周りにいたのは、自分を嫌っている人々でしたので、きっと彼をイエス様に近付けてくれはしなかったでしょう。ザアカイ自身もその事は理解していたはずです。しかし、それでも彼は、何とかしてイエス様に会いたいと、近づいていきました。彼は本当に求めていたのです。

 ザアカイはいちじく桑の木の上に登って、イエス様を待っていました。するとそこにイエス様が通られました。そして、イエス様は彼に向って「ザアカイ」と呼ばれました。どんな関係であっても名前で人を呼ぶことは、特別なものです。ことさら、孤独の中にいた彼にとっては、それはどれほど特別だったでしょうか。そして、イエス様は彼に「降りて来なさい」と言われた後、「あなたの家に泊まることにしてある」と言われました。その日を共に過ごしてくださったのです。

 

(文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2013年8月11日 主日第2礼拝メッセージより