『十字架を通して見る』

              聖書箇所 ピリピ人への手紙 447節 メッセンジャー イザヤ木原真

 

8節でパウロはすべての誉れあること、すべての真実なこと、すべての正しいこと、すべての清いこと、

すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することに心を留めるようにピリピの教会の人々へ言っています。

 


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節でパウロはピリピの人たちに私が教えたこと、見せたこと、語ったことを実行して欲しいと言いました。

つまり、パウロは私のようになってほしいとピリピの教会の人々へ言いました。
日本の多くのクリスチャンはパウロと逆で「私のようにならないでほしい」と言います。

これは謙遜ではなく不信仰です。

本当にイエス様を愛し従っていけば、私のようになってほしいと思うのが当然です。

パウロは本当に私のようになってほしいと言いました。これが本当の謙遜です。
パウロは本当にイエス様を愛し従っていたので、必ず私のようになれば、祝福されると言いました。


ピリピ人への手紙でパウロが特に強調していることは喜びです。
獄中にいたパウロが豊かな教会であるピリピの人々へ喜びなさいと言いました。
パウロが言ったように本当に喜ぶには誉れあること、清いこと、真実なことに、

目を留めると自分に関しても周りの人に関しても喜ぶことができます。


この地上はサタンがいて汚れと人間の罪が横行しています。
その中でどうしたら誉れあること、清いこと、真実なことに心を留めることができるのでしょうか。

それはイエスキリストの十字架がポイントです。

私たちがイエス様の十字架によってお互いを見ていたら、

お互いの内にある神が与えた良きものがきっと見えてきます。

清いもの、真実なものが見えてきます。
それを感謝して祈っていくとき、それが形をもって現れてきます。
目に見える現実を見て否定的になることはありません。
イエスキリストの十字架を見て、神があなたに、

お互いに持っておられる神の素晴らしい計画を感謝して祈ってください。

それは必ず成就します。

 

 

 (文責 久保田 望)

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2014年2月2日 主日第2礼拝メッセージより