『聖霊のバプテスマ』

                 聖書箇所 使徒の働き148節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

神のしもべ長崎教会にこの年与えられた御ことばは「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(Tコリント141)です。いやしや奇蹟など、御霊の働きを通して、すでに多くの神様の御わざがなされています。この御霊の賜物の働きは、聖霊のバプテスマなしには語れません。さらに、ここに書かれているアガペーの愛も聖霊のバプテスマがポイントなのです。

それでは、聖霊のバプテスマとは何でしょうか。バプテスマとはギリシャ語でバプテドーと言い「浸す」という意味を持ちます。つまり聖霊のバプテスマとは、聖霊に浸されることを言っています。イエス様を信じた人は例外なく聖霊が内住します。しかし、それに満たされているかは別問題です。ある方は、7分目かもしれませんし、6分目、半分かもしれません。しかし、聖霊のバプテスマを受けると、浸されている状態なので、満ちている状態なのです。そしてそれは、私たちが心を開けば与えられます。聖霊に満たされることがポイントなのです。

 

イエス様が復活された後に、大宣教命令を弟子たちに語った時、彼らは本当にイエス様について行きたいと思っていました。ペテロもヨハネも、自分が出来る精一杯でイエス様を愛していました。しかし彼らは出来ませんでした。イエス様が十字架にかけられた時、ペテロは呪いをかけてイエス様に背き、ヨハネは恐ろしくなって裸になって逃げ出しました。彼らは、どんなに決心していても、自分たちの力では出来ない事を知ったのです。この大宣教命令を受けた時も、彼らは自分の力の無さや弱さを痛感していました。そんな中でイエス様は弟子たちに言われました。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」(4.5節)バプテスマのヨハネが与えたのは水のバプテスマでした。水のバプテスマ(洗礼)は私たちにイエス様が与えられた命令です。ですので、洗礼を受けることは神様のことばに従うことになるので、洗礼を受けると、必ず祝福されます。それと共に、次は聖霊のバプテスマが与えられると言われたのです。

 

弟子たちは本当にイエス様に従いたかったのですが、それが自分たちの力では出来ないことを知りました。そのため、この聖霊のバプテスマを待ち望みました。聖霊のバプテスマを受ければ、イエス様に従うことが出来るようになる、自分が変わることができると思ったからです。

変わりたいと思うことがあります。ですが、自分ではどうすることも出来ないことがあります。しかし、聖霊によって満たされる時、変わることが出来るのです。

 

私たちの教会では聖霊に満たされることの始めの現象を聖霊のバプテスマと言います。聖霊のバプテスマが与えられた時、弟子たちは異言を語りました。御霊の賜物の働きが始まったのです。そして多くの人々が救われました。彼らの働きに実がつきはじめたのです。

 

多くの場合、出来る人は聖霊のバプテスマを求めません。本当に何も出来ないと思った時、神様に求めるのです。聖霊のバプテスマを受けれない人はいません。

聖霊のバプテスマがこれからの働きの土台であり、祝福のポイントです。聖霊のバプテスマを求、聖霊に満たされ続けて行きましょう。

 (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2014年3月9日 主日第2礼拝メッセージより