『奇蹟を見る』

         聖書箇所 マタイによる福音書142432節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 今日の聖書箇所はイエス様とペテロが水の上を歩いた箇所として有名です。この箇所からメッセージされる時の多くは、ペテロが波を見て不信仰になってしまったことに焦点があてられます。しかし、考えてみてください。イエス様の他にペテロだけが水の上を歩いたのです。確かに、一度は不信仰になり、溺れかけますが、その後、イエス様に手を取ってもらい、もう一度水の上を歩きました。2回も歩いたのです。弟子たちの中でなぜペテロだけが、水の上を歩くという奇蹟を見ることができたのでしょうか?

 

@    求める人は奇跡を見る

この時、弟子たちはイエス様に言われて、ガリラヤ湖を船で渡っていました。しかし、その途中で向かい風にあい、進む事も、戻る事も出来ないという状況にありました。そんな夜中の3時頃、イエス様は弟子たちの前に現れました。弟子たちからしてみれば、突然、水の上に人が現れたことになります。当時は湖の上に幽霊が現われると思われていました。弟子たちがイエス様の事を幽霊だと思ってしまったことは仕方のないことでしょう。「しっかりしなさい。わたしだ。恐ることはない。」イエス様がこう言うと、ペテロはすぐに「私にも水の上を歩かせてください!!」と求めました。そしてこの後、本当に歩くことになります。水の上を歩いていったい何の得があるだろうか?誰の為になるだろうか?そういうことを考えたら求めることはできません。ペテロのように、素直に単純に求める者は神の奇跡を見ます

 

A    言葉を受ける

ペテロがイエス様に求めた時、このように言いました。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」ペテロは、言葉を求めたのです。神の言葉には力があります。そして、神の言葉は奇蹟を起こすのです。

 

B    言葉に従う

言葉を求めたペテロにイエス様は答えます。「来なさい。」そこでペテロは、言われたとおりに、船を出て、踏み出しました。漁師にとって船とは命です。船から出たらそこは死です。元漁師のペテロにとって、船を出るという行動はとても勇気のいる選択だったはずです。しかし、彼はイエス様の言葉を信頼して、「船を出た」のです。そして、踏み出したからこそ、水の上を歩くという奇蹟を体験したのです。

 

 

今回の弟子たちのように、神様が言われて始めたことなのに、向かい風が来て、前にも後ろにも行けなくなってしまってうということは、私達の信仰生活の中でも起こることがあります。しかし、喜びましょう。それは奇蹟が起こる前ぶれだからです。神様はともにおられます。ただ単純に、自分の心の願いを求めましょう。そして、神様からの言葉を受けましょう。その言葉に応答する時、私達はいつでも神の奇蹟を見ることができるのです。

 

 

                                                               (文責 木原ヨハネ)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2014年3月16日 主日第2礼拝メッセージより