『踏み出す時に働く、神の力』

           聖書箇所 使徒の働き 3 1 8節    メッセンジャー イザヤ木原真牧師


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「ペテロとヨハネは午後3時の祈りの時間に宮に上って行った。」
『筆頭弟子』という長男タイプのペテロと、『イエス様に一番愛された弟子』という末っ子タイプのヨハネという、全く違うタイプの二人が一つとなり、一緒に宮に上がって行きました。
イエス様がゲッセマネで血のような汗を流し、人生の最も大事な祈りをしている時、イエス様に「起きていなさい」と言われても寝てしまう程、弱かった弟子です。
その弟子が、聖霊によって変えられ、祈る者となり、祈る習慣が身についていた事が解ります。

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生まれつき足の萎えた人が、施しを求める為、『美しの門』と言う名の、宮の門に置いてもらっていました。
当時ユダヤ教の中では、「施しを与えることは神の働きをする」と考えられていた為、この足の萎えた人は毎日、施しをもらい生きていたのです。
しかし、こうして食べ生きることは出来ますが、その先に何も目標(ビジョン・まぼろし)を持つことは出来ませんでした。

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ペテロはヨハネとともに、「私達を見なさい」と言い注目させて、「金銀は私には無い。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言いました。
二人が持っていたものとは「イエス様・聖霊」だったのです。
このとき二人は、神様の言葉を口に出して語り、そして彼の手を取って、立たせたのです。

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「するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出した」のです。
ペテロとヨハネが踏み出した時、神の働きが起こり、神様はこの人の表面的問題ではなく、その根本にあるものを治したのです。

祈る人は、神の業を見ます。
また、祈る人を通して、神は御自身を表され、その時に神は今でも奇蹟をなさいます。
神にえこひいきはありません。
聖霊によって、異なる二人が一つになって祈る時、神の言葉を語り、手を差し伸べ助ける時に神の業が表され、何も目標を持てなかった人に、最高の目標、輝くまぼろしを与えて下さるのです。

私達は、ちょっと手を差し伸べるだけでいいのです。
あとは、神様がなしてくださいます。

(文責 山本美津子

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2014 525日 主日第2礼拝メッセージ