『黙示録の時代を信仰によって生きる』

             聖書箇所 マタイの福音書248節  メッセンジャー イザヤ木原真牧師

「しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」(8節)の「そのようなこと」は、24章の全体を言っています。特に、2節は「どんなすごい宮・神殿でも壊れる」こと、4節は「惑わしが起こる」こと、5節では「『偽キリスト』が大勢(おおぜい)現れる」こと、6節は「戦争が起こる」ことが記されています。また、9節では、非常に厳しい時代が来ることを言っています。ですから、「産みの苦しみの初め」なのです。

これを聞くと、『苦しみ』の方が先に来て、「すごい時代が来るんだな。」と思うでしょう。しかし、これは『産み出す』ための苦しみなのです。黙示録は、確かに困難な苦しい時代ですが、あとに新しいことが始まるのです。

 

○黙示録の時代

『中東和平』から7年間の患難時代が始まり、その後半の3.5年は『大患難時代』です。『中東和平』では、『偽キリスト』を拝ませる『反キリスト』が、ヨーロッパに現れます。世界中は「最高の指導者が現れた!」と大歓迎しますが、実際、「ハレルヤ」とは言えないことです。

そのあと、『白い馬』(キリストの勝利)で、すごい救いが起こりますが、さらに『7つの封印』が解かれ、その7つ目が『7つのラッパ』です。これらのさばきは、「人々が悔い改めることを願って」のさばきですから、悔い改めると救われます。その『7つ目のラッパ』のときが3.5年で、ここで『空中再臨』があり、クリスチャンは『携挙』されます。携挙で、霊が一気に天へ引き上げられ、『復活のからだ』をいただくのです。

黙示録にある『7つの教会』は、いつの時代にもある『教会の型』(かた)で、携挙は『フィラデルフィア』の教会だけです。なぜなら、フィラデルフィアの教会の特徴は、「少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否(いな)まなかった」(黙3:7-8)で、「わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。」(黙3:10)と、大患難のときに携挙されて助かるということが、フィラデルフィアにだけ記されているからです。

 残ったクリスチャンは3.5年、殉教か背教しか選択肢のない『大患難時代』に入ります。ここに『7つの鉢』があり、これは殉教か背教のあとの『救いのないさばき』です。そしてこの時代の最後に、イエス様が地上に来られる『地上再臨』があり、『クリスチャンのさばき』(=報い)があります。

 

○千年王国と新天新地

 このあと、『千年王国』がこの地上に来て、サタンが縛られ、殉教した人たちは王となり、フィラデルフィアの教会の人たちも「キリストとともにおさめ」ます。サタンによってもたらされている病や災害、混乱などがない時代です。しかし、最後にサタンが解き放たれ、ゴグとマゴグを騙して導き、ハルマゲドンが起こり、そこにキリストが来て直接さばかれます。ここで、クリスチャンでない人はいろんな書物によってさばかれ、『永遠の滅び』に落とされます(黙20:4-15)。この世でどんなに成功しても、善いことをしても、役に立ちません。

そして、まったく新しい『新天新地』(神の国)が来ます。クリスチャンは、『いのちの書』(黙20:15)に記されていますので、新天新地へ行くのです。

 

永遠に持っていけるものは、信仰と、希望と、愛です。神の与えた使命(みこころ)について、どう生きたかは、評価され、それが永遠に残ります。神様を第一にして求め、信仰の対応をもって心を定めると、最善が必ず開かれます。

(文責 石田雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2014720日 主日第2礼拝メッセージ