『水の上を歩いた』

            聖書箇所 ヨハネの福音書142233節  メッセンジャー イザヤ木原真牧師

イエス様は5千人の給食の奇蹟を行った後、12弟子達を強いて船に乗せ、ガリラヤ湖の向こう岸へ行くよう命じ、付いて来た群衆を解散させました。満腹にして帰らせた所にイエス様の温かい愛を感じます。
 その後、イエス様は1人で山に登り、神様と交わる祈りの時を持ったのです。イエス様は大きなことを成す前に、又、わざをなした後、こうして父なる神様としっかり交わる時を持っています。

 私達も、教会で一緒に祈る事はもちろんですが、同時に、神様と1人でじっくりと交わる祈りの時を持つことも必要です。車のタイヤの両輪と同じで、どちらかが欠けると車は自由自在には動けないのです。
 日本人は勤勉で、一生懸命忙しく働きます。しかし、祈る時間も無い程に仕事に追われるのは良くありません。忙しいとは、『心をうしなう』と書くように、神を見失ったり、大事なものを失ったり、一生懸命やっているのに空回りしたりする事が、しばしば起きてくるからです。
 祈る時間を奪われないように、意識して取り組む必要があるのです。

 その時弟子たちは、主に言われて船出したのに、向かい風のため波に悩まされていました。戻るにも戻れず、進むにも進めない状態だったのです。
 私達も、神が導いた場所なのに神が導いて従っているにもかかわらず、向かい風が吹いてきます。しかしそのような時、つぶやいたり、否定的にならないで下さい。
 それは、神があなたにもっと大きな神の愛・神の力・祝福を与えようとしているからです。

25
節「夜中の3時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、かれらのところに行かれた。」
 人は水の上を誰一人、歩けません。しかし、イエス様は歩いてこられたのです。
26
節「あれは幽霊だ」と言って、叫び声を上げた。日本では、幽霊はお墓に出ると言いますが、ガリラヤ湖畔では、湖の上に出ると言われていました。だから、弟子たちは怖がったのです。
私達もイエス様が折角助けに来られているのに、イエス様を見て怖がり叫び声を上げることがあります。
28
節「水の上を歩いてここまで来いとお命じになってください。」

ペテロだけが、人間が水の上を歩くという、絶対にありえないことを、イエス様に求めたのです。
ペテロが求めた瞬間、29節でイエス様は「来なさい。」と言われたのです。ペテロはイエス様の言葉を受け、

舟から出て、水の上を歩きイエス様の方へ行ったのです。

 

30節「主よ。助けてください。」とペテロが言いました。 私達はイエス様を見て歩いていても、ふと現状や

自分を見て、怖れてしまうことがあります。
31
節「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」ペテロが疑い、水に沈みかけた不信仰のことが言われましたが、

しかし、ペテロはありえないことを求め、言葉を受け、舟から出て踏み出しました。

確かに、ペテロは怖れて沈みかけますが、しかしすぐに助けを求め、再び水の上をイエス様と手をつなぎ、歩いたのです。他の弟子のように私達もただ見ているだけではなく、ペテロのように神様に言葉を求め、受けたら大胆に踏み出して下さい。神様の言葉に応答する人は、奇蹟を見るのです。

(文責 山本美津子)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2014928日 主日第2礼拝メッセージ