『救いのために祈り続ける』

                     聖書箇所  マタイの福音書1112節  メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

天国ではバプテスマのヨハネよりも偉大

このバプテスマのヨハネは、910節に「でなかったら、なぜ行ったのですか。預言者を見るためですか。そのとおり。だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。この人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれているその人です。」とあるイエス様の道備えをしたヨハネです。

このヨハネについて、11節にイエス様が「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」とあります。つまり「人類の中でもっともすぐれている」と言われたのです。

しかし、同じ11節に「しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。」と言われています。「最高の人であるヨハネよりも、天国に入る人の方が偉大である」と言われているのです。

そして、地上でどのように最悪であった人でも、イエス様を信じ、十字架があるから、罪が赦されて復活して勝利者となって、天国へ行けます。そして、天国に入るなら、バプテスマのヨハネよりも「ちょっと」ではなく「偉大」になるのです。

 

あきらめず祈り切る

その次に、今回の「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」という箇所です。「激しく攻める者が、天国を奪い取っている」ということです。

激しく攻めるとは、一時的に激しい勢いや力で祈るということではなく、「本当に愛する人が永遠のいのちを受け、本当に天国に行けるように、救われ、神さまが用意された天国という答えを受けるまであきらめず引き下がらず、神に向かって心から願い祈り切る・祈り続けるということです。その、激しく祈る人たちを通して、天国が奪い取られているのです。

ですから、それまであきらめず、投げ出さないでください。

「自分にはできないな。」と思う方もいらっしゃるでしょう。確かに、私たち人間には、残念ながらそこまでの愛や力はありません。相手の態度次第では、がっかりしたり、腹が立ったりもするでしょう。

しかしそこで、教会です。教会にはキリストが満ちています。そのキリストが、お互いを用いて、教会に来る、あるいは、教会につながっているとき、祈り続ける力を受け、そうできるのです。

 

永遠のいのちのために

もっとも重要なのは、永遠のいのちです。地上で幸せそうにしている人や、実際に幸せな人はいくらでもいます。

でも、お金持ちであったり、有名であったり、人気であったり、たくさんの人に愛されていたりの、地上のどんな幸せも、永遠には持っていけません。どんな人にも必ず、死は来ます。

しかも、キリストを知らなければ、永遠を受けられませんし、永遠に持って行けず、失うだけでなく、「永遠の地獄」です。

本当に愛している人とは、いつでもともにいたいと思います。ただ、地上はどんなに長くても120年です。

(キリストを知らない)死は引き裂き、二度と会えません。でも、キリストを知っていると、天で確実に会えるのです。

信じるかどうかは、人の領域ではなく、まさに神の領域です。伝え方がたとえうまくなくても、その人のための祈りがあると、信じたりするのです。永遠の解決をなさる神さまが、地上のことを解決できないわけがありません。

祈りは永遠の扉を開き、不可能を可能にし、神の手を動かし解決をもたらすカギです。

天と地を造られ、歴史を動かしている、愛であるまことの神さまの手が動くのを見ます。これはまさに、最高の祝福です。

 

(文責 石田雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2015 215日 主日第2礼拝メッセージ