『心を合わせて』

                    聖書箇所  使徒の働き11214節  メッセンジャー イザヤ木原真牧師

ペンテコステの前に、「弟子たちはどうしていたのか」というのが、今回の箇所です。

14節がメッセージの中心です。

 

・婦人(女性)

13-14節には11弟子と、「婦人たち」と「イエスの母マリヤ」が出てきます。

婦人は重要な存在で、祈る婦人たちは祝福の源で神に用いられますが、祈らずしゃべる婦人は残念ながら教会の祝福とはなりません。

聖書にある「イエスの母マリヤ」は、神に選ばれ、へりくだった器で、信仰の模範です。

ただ、カトリックの言う「マリア」は、聖書のマリヤとは明らかにかけ離れていて、惑わしです。

 

・心を合わせる3つのポイント

弟子たちは、心を合わせて祈ることができるような間ではありませんでした。

しかし、聖霊が来る前に、心を合わせ、祈りに専念(没頭・集中)しました。

なぜそうできたのでしょうか。

鶏が2度鳴く前に3回裏切ったペテロは、「自分ではできない」ということと向き合った結果、祈るところに行けたのです。

私たちも、心をひとつに合わせることは、簡単ではありません。

聖霊が強く働く前には、本来すべての人にある弱さを覚えされられ、求めるようになるのです。

ただ、「できない」と思っても、祈る人と、諦めて投げ出す人に分かれます。

では、どうすれば神に求めるようになれるのでしょうか。

それは、神さまから約束と使命を与えられているかどうかです。

ペテロは弱さの中で祈ったところ、「シャローム」と言われた上、大宣教命令を受けました。

その上で、弟子たちに「聖霊のバプテスマを受け、力を受けたら、地の果てまで行って、殉教してでもイエス様を証する人となる。」という約束の言葉を受けた結果、集まって祈れたのです。

怖さは必ずしもいいとは限りませんが、怖さ・恐れのゆえに祝福されることがあります。

この11弟子たちも、怖さのゆえに集まって祈った結果、このようになりました。

共通の敵がいる(例えば、日本のキリスト教会に迫害が始まる)と、ひとつになります。

サタンゆえの不安や恐れがあると、神さまにあってひとつになるのです。

教会の共通の敵はサタンです。

 

もちろん、私たちには聖霊がおられますが、満たされているかどうかです。

リバイバルの直前に来ています。日本の霊の壁がやぶれるときが近づいてきています。

「神さまなしでは何もできない」ことを、知識だけではなく、骨の髄まで知らされます。

しかしそれを通して、「本当に神のところに来る」ことを求めておられるのです。

神の約束は変わりません。あきらめず、投げ出さず、ともに祈りに集まってください。

(文責 石田雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

20155 17日 主日第2礼拝メッセージ