『奇蹟が起こるポイントと信仰』

                    聖書箇所 使徒の働き319節   メッセンジャー イザヤ木原真牧師

聖霊の満たし受けたペテロとヨハネは一つになり、神の働きを担いました。

夫婦、親子、兄弟でも、聖霊が来ると、その助けと力によって、一つになるのです。

我々はリバイバルを信じています。リバイバルは、聖霊が激しく臨み、溶け合います。

リバイバルの記録を見ると、ぶつかっていた者たちが聖霊によって一つとなり、神の働きをするということが、どこの記録にも書いてあります。

 

・イエス様から与えられる信仰

ペテロとヨハネは、祈りの習慣が身についていたことが分かります。

奇蹟は恵みによって突然起こることもありますが、継続して起こるには、祈りの習慣が重要です。

ペテロとヨハネが、宮(今で言う教会)に行くと、生まれつき足の萎えた人が運ばれてきました。

社会福祉制度のない当時、ユダヤ教では貧しい人に施すことは、神に仕えることの一つでした。

この男の人は、施しをもらって生きていました。

自分が治って歩くという発想は全く持てず、「そんなこと起こるはずがない。」と思っていました。

そんな彼に、ペテロとヨハネは「しっかり私を見なさい。」と言いました。

この男の人は、「何か施しをもらえるのではないか」と期待したと思います。

しかし、ペテロは「ナザレの主 イエス・キリストの名によって歩きなさい」と語りました。

彼が全く考えもできない、願ってもいないことが語られ、その場で奇蹟が起きました。

神さまは同じことをあなたにも語られ、問題に対して根本からの解決を与えられます。

ペテロとヨハネは、「この人が歩くことができる」という信仰は、自分たちの信仰ではなくて、イエス様から与えられた信仰だと言いました。

聖霊が来ると、一つになるだけでなく、神さまから信仰も与えられます。

 

・助けを受けて踏み出す

奇蹟が起こるときのもうひとつのポイントは、神のことばに踏み出すことです。

しかし、この人の足が萎えたままである限り、いつまでたっても歩けません。

神のことばに応答しなければ奇蹟は起きませんが、自分で応答できないときは助けが必要です。

このときも、ペテロがこの人の手をとって立たせたとき、くるぶしが強くなり歩き始めたのです。

彼は、踊りながら賛美して宮に入って行きました。本当に嬉しかったことでしょう。

このように、神さまがなすときは、レベルの違う奇蹟が起こるのです。

神さまの奇跡は、マイナスをゼロで終わらずプラスにまでする、素晴らしい奇跡です。

 

もしみなさんの周りで、期待できないでいる人や、自分の範囲でしか考えられない人がいる場合でも、あなたが聖霊に満たされたら、この信仰をもつことができます。

そして、あなたを通して、あなたの家族や友人たちに奇蹟が起こります。

あなた自身が、この足の萎えた人のように弱っていても、教会に集まると神さまは「起きて立って歩きなさい」と語ってくださり、奇蹟をなさいます。

(文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2015531日 主日第2礼拝メッセージ