『力を受けて遣わされる』

              聖書箇所 ヨハネの福音書201923節   メッセンジャー イザヤ木原真牧師

弟子たちはユダヤ人を恐れて集まって、内側から鍵をかけて、戸を閉めていました。

「今度は自分たちが殺されるかもしれない!」と思って、おびえていたからです。

しかしそこに、復活のからだをいただいたイエス様が、戸を通り抜けて入ってこられました。

 

・神の大きな愛

19節・21節の「平安があなたがたにあるように。」の平安は、力ある神の平安シャロームです。

イエス様は、裏切った弟子たちに、責めや裁きやいやみなどではなく、愛を注いで言われました。

このようなとき、わたしたちは聖霊の助けなしに、このようなことはできません。

 

・主を見上げる

弟子たちは、入ってこられたのがイエス様だと分かり、見て喜びます。

 わたしたちクリスチャンが、人や問題・困難を見ているとき、喜べません。

しかし主を見上げるとき、喜びと平安が来るとともに信仰がわき上がるのです。

この地上に、イエス様に解決できない問題や困難などはないからです。

 

・世に遣わされて神を体験する

21節で、イエス様が弟子たちに「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われます。

 わたしたち人間は、この弟子たちと同様に、力がなく、弱く、不信仰なものです。

しかし、そのようなわたしたちさえも、父なる神の愛はまずそのままのわたしたちを受け取られ、その上で成長を願い、そして世に遣わされるのです。

職場や家庭、地域や学校などに遣わし、その中でわたしたちは神の愛を深く知るのです。

しかしそれは、聖霊の力や助け、満たしを受けずには、クリスチャンとしてはやっていけません。

そこで、証人(あかしびと)として遣わされることを願えるかどうかは、あなたの選択です。

 確かに大変な戦いがありますが、その中で神がいかにして働かれ、力強いかを体験します。

だから22節で、イエス様が「聖霊を受けなさい。」と言われているのです。

 

・赦す選択

さらに23節で、赦すか否かの選択を語っておられます。

世に出ると、赦せないようなことがあるからです。

そこであなたが相手を赦すなら、その人は赦されるとあります。

しかし、それも聖霊の力が必要です。

感情はついてこなくとも、わたしたちには意志が与えられており、選択できるのです。

 そこで、感謝することや赦すことを選んで立つなら、聖霊が力を注いでくださり、感情も造り変えてくださいます。

そして、神様のすばらしい栄光と祝福を見ていきましょう。

(文責 石田雅則)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

20158 16日 主日第2礼拝メッセージ