『教会に集まって祈る』
説教箇所 使徒の働き2章 1〜 4節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ペンテコステは、日本語では「聖霊降臨日」です。
使徒1章までは特別な時に特別な人々にしか臨まれていませんが、2章のペンテコステからはキリストを信じるすべての人の集まるところに臨まれ満たされ、教会がスタートしました。
ここからが聖霊時代で、すべてのクリスチャンに聖霊が注がれます。
聖霊に満たされること(この群れでは、その最初の現象)を、聖霊のバプテスマといいます。
聖霊が住まわれていますが、住まわれていることと満たされることには違いがあります。
満たされるとは溢れるほどの状態ですが、ペンテコステの時はそのレベルではなく、聖霊に浸り、満たされきっているといった状態で、クリスチャンは神さまに臨まれるとなります。
弟子たちは皆が裏切り、1人でいられないほどユダヤ人を恐れ、与えられていた大宣教命令をする力もなく、イエス様に「聖霊を待ち望んでいなさい。」と言われていたものの聖霊が分かりませんでしたが、「聖霊が臨まれると力を受ける」ということで集まっていました。
聖霊が臨まれると弟子たちは恐れから解放され、ユダヤ人たちに向かって大胆に語りました。
聖霊のバプテスマを受けると内側から変わり、赦せるようになったり、愛しくなったり、恐れから解放されたり、造りかえられ、豊かな実を結ぶ働きが起こります。
それは、21世紀の今でも起こり、具体的に現れます。
皆が集まっていた時に聖霊が臨まれ働かれたように、新約時代の今は教会に神が働かれます。
教会を通して働かれますから、その集まっている中にいることは非常に重要です。
信じ切っていた人だけでなく、疑った人なども含めて、すべての人に聖霊が臨まれたのです。
信仰に満ちて待ち望めば最高ですが、サタンはそこから引き離そうとします。
どのように思っても、あるいは惑わされても、そこにいる人には聖霊が臨まれるのです。
カリスマの働きが起こされますが、準備がないと混乱が起きるので、準備が必要です。
ペンテコステの前、弟子たちと婦人たちは祈りに専念していました(使徒1:14)。
祈る婦人会は、教会にリバイバルをもたらします。
また、自分に無力感(どうしようもなさ)を感じることは、祈れる恵みです。
4節では聖霊に満たされ、唇が支配され、賛美や福音の異言(他国の言葉)が開かれました。
聖霊に満たされると唇が変わり、言葉が変わります。
日頃の告白や、言葉で何を語っているかは重要です。
ただ、聖霊に満たされてもそれでは終わらず、地上にいる限り戦いが続きます。
使徒の働きで、12弟子たちが何度も満たされているのは、そのためです。
ですから、一度満たされて、戻っても落ち込まず、何度でも満たしを求めてください。
リバイバルでは、ある地域や時代に聖霊が豊かに臨みます。
それが、今から起ころうとしています。
聖霊の満たしは、自分で越えられなかったことを越えさせてくださいます。
教会に集まって祈ると、わざが起きるとともに、試練に強くなります。
ぜひ、ともに集まって祈っていきましょう。
(文責 石田雅則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2016年5月15日 主日第2礼拝メッセージ