「この希望は失望に終わることがありません。」

 憎しみが原因で不眠と食欲不振となり体調をくずし、一月余りの何種類かの検査の結果普通より20年から25年早く更年期になった。しかも妊娠の可能性無しとの診断を受け、体でもうカルシュウムができないので骨粗しょう症の検査と治療に通うように言われました。33歳でした。年齢にあった体に戻りたいと強い願いがありましたが、これぐらいの事は神様にいうべきことではないと思いあきらめていました。

 しばらくして、ある集会に行き、お祈りの時間がもたれ「今日は、祈ってもらえるかもしれない」と強い期待がありましたが、「こんな事ぐらいで」と躊躇していると、講師の牧師は、次の集会のため立ち去られ、ガッカリしてしまいました。すると、その牧師が戻ってこられ「聖霊は働いています。まだ他に祈られるべき方がおられるのでは」と、再度招かれ、時を遅らしてはだめだと、出て行くことができ、祈っていただきました。

 三ヶ月後、妊娠していました。「こういうこともあるんだなー」と、医者は納得いかない様でした。神様は私をいやしてくださり、この私にも希望を与えて下さいました。

 私の血液型はRH(−)で、子供はRH不適合児の可能性があり、二人目を妊娠中、血液型RH(+)に対する抗体ができ、二人目と三人目は交換輸血を受けました。抗体値が64倍までなら心配はないのですが、それ以上になると、脳性麻痺等の障害がでる可能性があり、体内にいる時に、抗体の上昇にともない胎児は赤血球破壊で死亡するかもしれないし、危険度は二人目より三人目の方が高いと言われていました。三人目の子は、妊娠中128倍となり、その分野の権威のある医者から保障できないと言われての出産でした。

 四人目の子の妊娠が解り抗体検査をすると128倍でした。数値は胎児の成長にともないふえていくので病院は、中絶するのが当たり前のように言いました。莫大な費用がかかる危険で望みのない妊娠継続化中絶かと選択を問われ、身信者の夫は仕事上援助できないと医者の方を選びました。三人目の時も同じ様な状況の中、結局、出産前後併せて二ヶ月程私が入院しなければならず、上の子達はあっちにこっちにと預かってもらい、いろんな方に迷惑をかけてしまったからでしょう。今回は三人ですし、三人目は三歳をすぎても、歩けず、しゃべれません。検討のつかない治療費はどうしうとか、「神様、夫の反対の中でどうしたらいいの」ただうめきの祈りでした。

 中絶ができる期限まであと数日という時、預言者を招いての集会の中で、そのメッセージ中に「中絶は神の御心でなく、中絶を認めた指導者の国は神の裁きを招く。中絶はよくない」と何度も繰り返され、すぐに、迷ったことすら間違いだったとわかりました。

 個人的に祈っていただき「この子は、今までの子より一番強い、家族の祝福となる。」と、預言がありました。今回も出産するぞと決めると、親族も周りの人々もあきれたようで、援助しないと はっきり言われました。

 すぐに抗体を取り除く為の血漿交換治療の入院が始まりました。子供のことも、教会の方々の祈りにより、地方の町でしたがお風呂まで入れてくれる託児所が見つかり、主人の仕事が急に減り、職場も病院のそばに移転して、何とか世話もできました。

 「第3子と同じか少しでもよければ大成功です」この治療を15回続けましたが、胎児の成長と共に抗体値は上昇のみ、腹部へのカテーテルも腹部の膨らみで入らなくなり治療は中止となりました。妊娠35週目、値は2048倍となり「少し悪ければ大成功です」と念を押されて人口出産、非常に悪い黄疸値でした。すぐに交換輸血となりましたが、二回目が終わり安定してしまいました。

 四日目「非常に心配しましたが」と一言、二週間後「どうしてよくなったか解らない自力でよくなったとしか考えられない。しかし、出産時がひどい状態だったので、一年間は要観察」と退院しました。

 一年後、三人目は出産時の黄疸値が高すぎて、出産後処理できない程だったので、障害が残ったと診断され、軽度ですが身障手帳と療育手帳を持つようになりました。

 しかし、この四人目は三人目より非常に悪い数値で生まれ同じ処理を同じ回数しましたが、全く普通児として扱う様指示がありました。神は人間を遥かに超えて不思議をなさいます。

「強い子ね」とよく他の人より言われますが、預言を通して語られた言葉です。
この希望は失望におわることがありません。
この四人目の出産後、無神論の伯母が、母が、そして主人が救われました。主人は、望の満三歳の誕生日に洗礼を受けました。
(長崎県 坂井一美)