木原 純子
6月11日(水)
一人目がお腹にいるとわかった時、そっーと、そっーと階段を下りた。
きれいなガラス細工を抱えるようにして。母乳を与える時も乳首をホウ酸で消毒した。普通のジュースなんて飲ませていいものかと、全部薬局にある赤ちゃん専用の物を使った。
ふたり目、大人の食べるふつう食を、全部母親の私の歯で食べやすくしてから与えた。
そして次第に、床に落ちたものを食べていても、「まぁ、いいか。死にはしないだろう」と死ぬか死なないかで判断するようになった。
そして、6人目。やっと、丁度「いい(良い)加減」で育てるというのを、発見した。6人目が生まれたときのこと。生後一週間、今日が退院というその日に、夫は赤ちゃんの産着を忘れて迎えに来た。お古ではあったが、その中でも一番きれいなものを選んで、洗濯をして用意してあったものを、きれいに忘れてやってきたのだ。病院の産着は貸してくれているだけで、持っては帰れない。
退院する日、赤ちゃんが初めて世に出て行く日、普通同室の人たちは、真っ白な新しい産着に、ひらひらのレースなんかが付いている帽子をかぶらせて帰っていく。「おせわになりました。」なんて言って、ひとりづつケーキを配ったり、看護婦さんたちと写真を撮ったりする。そして抱えきれないほどの花束をもって、おばあちゃんやご主人と帰っていく。
それはいつみても幸せな風景。それなのに、夫は忘れてやってきた。「どうしよう。取りに帰って、 」と言おうかなと、思った瞬間、「よか、よか!
このまんま、バスタオルにくるんで帰ったらよかっさぁ! 」
ホントにこんな言葉が、長崎弁でとっさに口をついて出てきたのだ。生まれたばかりの赤ちゃんを、生まれたまんまのそのまんま、あらいざらしの白いバスタオルで大切にくるんで帰ってきた。
でも、なんだかとってもかわいい。心から愛している。服もぼうしも何もいらない。心から愛おしさがこみ上げてきて、頬ずりしながら帰ってきた。
この日から、私の子育ては大きく変わった。
ちなみにこの子は、かっぷくがよく、ほっぺを膨らませて口はへの字に曲げていた。にこりともしない。以前の私なら、何とか笑わせようと、ほっぺをたたいたり、あやしたりしたものだった。でも、そのふて腐れた顔が何ともそのまんまで可愛いと思えるようになったのだった。
つづく
いい加減