11月10日(水)
木原 純子
お嫁さん 2
 カンボジアに着いてびっくりした。戦後の日本の雰囲気とそっくりだったから。おばちゃんは青春時代を取り戻した。内戦で同じ民族同士が殺しあったカンボジアは、どこか人々の面影に暗さが漂う。孤児院にやってくる子ども達は、その上市場で売られていた子ども達。突き刺すような鋭い目の中になんとも言えない寂しさと悲しさが溶け込んでいる。

 おばちゃんは体当たり、そんな孤児院の中に飛び込んだ。英語もカンボジアの言葉も話せない。でも、おばちゃんの胸はそんなカンボジアの孤児達に、とってもあったかかった。「自分の子ども達を捨ててしまった」と、ずっーと傷ついていたおばちゃんの心は、孤児達によっていやされ、孤児達も又おばちゃんにすっかりなついてしまった。そしてあんなに鋭かった目が、柔らかな愛に満ちた瞳に変わってしまった。
 おばちゃんは、1か月、3か月、6か月、1年とカンボジアにいて、ビザの関係で何度か日本に帰ってきてくれた。日本にいる時は木原孤児院で8人の子ども達を見てくれて、またカンボジアへと旅だって行くのだった。

 話はそれで終わらなかった。日本に帰って、神様はおばちゃんの人生にはありえなかったシナリオを用意しておられた。NPO礎の石孤児院の名古屋地区における報告会に、特別講師の一人として招待されてしまったのだ。当時、夫がこの孤児院の総主事をしていたので一緒に行く事になった。2月の16日、この日はおばちゃんの誕生日だったので、バースディ割引で2人分の飛行機代が半分になった。

 実は、名古屋にはおばちゃんがもう一生会えないと思っていた次男が、そして三重には長男が住んでいたのだ。この日、報告会の日、長男は仕事で来れなかったが、お嫁さんが会いに駆けつけて来てくれた。そして、次男の人はやって来た。おばちゃんのしどろもどろの報告を聞き、夫の語った報告にもボロボロと涙を流しながら聞いて下さったそうだ。
 
 「母がお世話になっています」と次男の方。「いえいえ、とんでもない。こちらが大変お世話になっているんです」と夫。最後に「母をどうかよろしくお願いします。」と最敬礼して下さったと言う。

 体が弱く病気の問屋だったおばちゃん、一人暮らしで寂しくてカラオケでお酒ばかり飲んでたおばちゃんの人生に、神様は素晴らしい事をして下さった。そればかりか、山のような洗濯、山積みになった皿をみて「死にたい」と思っていた私におばちゃんと言う素晴らしいプレゼントを下さった。

 最近、8番目の4歳になる末っ子が言う。「僕、大きくなったらおばちゃんと結婚するんだ!」 
 我が家のお嫁さん第1号だ。