『イスラエルの賛美を住まいとしておられます』

聖書箇所:詩篇22篇3節                               メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

 詩篇22篇3節のイスラエルという言葉には2つの意味があります。旧約時代ではイスラエル人のことを意味します。新約時代ではイエス様の十字架のあがないを信じる全ての人のことを意味します。イエス様の十字架のあがないを信じる人は霊的な意味でイスラエル人となるのです。そのことを信じている私たち一人一人は霊のイスラエル人なのです。「イスラエルの賛美を住まいとしておられます」とは、イエス様の十字架のあがないを信じる人が神様に心を向け賛美をささげる時、その賛美のただなかに神様が住んでくださるということです。

感謝と賛美がなぜ大事なのか理解するために幕屋の学びをなしていきたいと思います。幕屋とは移動式の神殿であり神様が住まわれる場所です。幕屋の構造を見ていきます。幕屋は入口に近い方から祭壇、洗盤、聖所があり一番奥に至聖所があります。聖所と至聖所は分厚い垂れ幕で仕切られています。

旧約時代は罪の赦しをえるため祭壇で全焼のいけにえをささげていました。新約的に見ると祭壇はイエス様の十字架を意味します。祭壇の先には洗盤があります。全焼のいけにえをささげた後、手足を洗い身をきよめるところが洗盤です。新約的に見ると罪を悔い改めきよめを受けることを意味します。私たちは罪人であるがゆえに日々罪をおかします。イエス様の十字架の赦しを受けるためには日々悔い改める必要があります。きよめを受けた後、聖所に入ることができます。旧約時代、聖所には祭司(アロンの子レビ人)だけが入ることができました。しかし、新約時代は違います。イエス様の十字架のあがないを信じる人は誰でも聖所に入ることができます。聖所にはアーモンドの形をした金の燭台(神の言葉と教会を意味する)と、机がありその上に皿が12枚あります(旧約時代は12部族を意味するつまりイスラエル民族全体のこと、新約時代はクリスチャン全体を意味する)。祭司はいけにえをささげきよめを受けて聖所で香をたくのが仕事でした。香をたくとは、賛美と感謝と礼拝をささげることを意味します。

一方、至聖所には旧約時代は大祭司(1名)だけが大贖罪日(1年に1回)にのみ入ることができました。しかし、新約時代は違います。イエス様が十字架のあがないをされたことにより聖所と至聖所を仕切っていた幕が切れました。その結果、イエス様の十字架のあがないを信じる人なら誰でもいつでも至聖所に入ることができるようになりました。至聖所には神の箱(契約の箱)があります。神の箱には十戒が書かれた石板2枚(律法を意味する)、マナの入ったつぼ(十字架を意味する)、芽を出したアーモンドでできているアロンの杖(神の言葉とその成就を意味する)が入っています。大贖罪日に大祭司は祭壇にある炭(十字架を意味する)を持って至聖所で香をたきました(祈りをささげることを意味する)。香をたき煙が出る時、神の箱の上に神様が臨まれ語られます。神様が臨まれるカギは香をたくことです。香をたくとは新約時代は神様に感謝と賛美と礼拝をささげることを意味します。ポイントは“十字架の恵みによって心からの”感謝と賛美と礼拝をささげることです。旧約時代に神様の仕事を担っていた祭司と大祭司の務めは香をたくことでした。だから、感謝と賛美と礼拝をささげることは重要なのです。

賛美隊は戦いのとき万軍の主の後に出て行くものです。戦いの最激戦区に置かれます。お一人お一人が明確に賛美隊(賛美隊となるには感謝の戦士となる必要があります)として召されたのでサタンの激しい攻撃がきます。サタンの攻撃を始めとする困難、良いこと、当たり前のことも神様の助けをいただいて忠実に感謝していきましょう。感謝と賛美の土台が揺るがないものとなっていればどのような問題が許されても賛美隊として立ち続けることができます。

感謝と賛美と礼拝の土台が確かなものとなった時、神様が今まで以上に豊かに臨まれ神様の大いなる働き起こります。癒し、奇跡、解放、爆発的な人々の救いそして日本のリバイバルを神様が起こしてくださいます。400年間日本を縛っていた霊の壁を破るのに神様が賛美隊をも豊かに用いてくださることを期待していきましょう。これは神学のお話ではありません。賛美隊である私たちがその自覚をもって感謝と賛美と礼拝をささげていく時、確かにそれは起こるのです。

(文責 久保田望)

                   主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2007年11月18日 主日第二礼拝メッセージより