『心を定める』
聖書箇所:詩篇2篇23節、ローマ人への手紙12章2節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
イエス様の十字架のあがないを信じる私たち一人一人は霊のイスラエル人です。イエス様の十字架のあがないを信じる人たちが心から神様を賛美し礼拝するとき、そのただなかに神様が御座をもうけられ住まわれます(詩篇2篇23節)。神様が住まわれるとき、神様の御業が起こります。
今回のイスラエル派遣以降、神様は私たち一人一人を賛美隊として明確に召されました。戦いの最激戦区に置かれました。そのため神様に心から賛美し礼拝しようとするとき、妨害がしばしば起こります。賛美しようとすると急に他のことが気になったりして礼拝に集中できなくなることがあります。心からの礼拝を神様に捧げることを神様は喜ばれます。そのためサタンは私たちが心からの礼拝を捧げることを忌み嫌い妨害してくるのです。
真の賛美隊となるには感謝の戦士となる必要があります。ですが、人生には賛美したくても賛美できない、感謝したくても感謝できないような困難が許されることがあります。そのような困難が起きても正しく乗り越え真の賛美隊として歩んでいくために今回は3つのことを学んでいきたいと思います。
@天の軍勢と共に戦う
天国では2つのことがなされています。1つ目は、神様を心から賛美し礼拝すること(天国には罪もなくサタンもいないのでいつも真の礼拝が捧げられています)、2つ目は罪と汚れに満ち、サタンの攻撃がはびこっているこの地上に生きている私たち一人一人のために天の軍勢によるとりなしの祈りが捧げられています。天の軍勢とは愛する家族など先に天に召された方、天使、殉教者のことです。
今回のイスラエル派遣以降、心から捧げる賛美、礼拝のうちに確かに神様は住まわれると神様ご自身が語られました。神様は本来、天国に住んでおられます。私たちが心から捧げる賛美、礼拝のうちに神様が住まわれることは地上に天国が降りてくることを意味します。そのとき、神様と天の軍勢が私たち一人一人と共に戦ってくださっていることを実感します。
A教会と共に戦う
一人でも賛美し礼拝することはすばらしいですが、それには限界があります。なぜなら、新約時代は教会を通して神様は働かれ御業をなされるからです。祈り、賛美、礼拝を教会で捧げると力を受けます。信仰が強められ感謝と賛美で困難を乗り切る力が与えられます。
B感謝と賛美と礼拝することに心を定める
人生に困難が起きたときどのような対応をすることが御心なのかわきまえるために心を一新しなさいと神様は語っておられます(ローマ人への手紙12章2節)。もちろん、神様の御心は私たちがつぶやくのではなく、感謝と賛美と礼拝で困難を乗り越えることです。この神様の御心を選び取るためには神様の御心に立つことに“心を定める”必要があります。つまり、私たちは賛美隊として立てられたことを自覚し、感謝と、賛美と、礼拝することに心を定めないといけません。天の軍勢と教会が困難の中で共に戦ってくださいますが、実際、信仰の対応をとるのは本人なのです。誰も変わることができません。感謝と賛美と礼拝することに心を定めるとき、天の軍勢と御体なる教会から十分に力を受けることができます。その力を受け賛美隊として感謝と賛美と礼拝を捧げ困難を乗り越えていきましょう。
※
どのような戦いが許されても決して、一人になることはありません。神様がいつも共にいてくださり、天の軍勢と教会が私たち一人一人と共に戦ってくださるということをどうぞ、覚えていただきたいと思います。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2007年12月2日 主日第二礼拝メッセージより