『感謝から神の奇蹟を』

メッセンジャー イザヤ木原真牧師

                                                            ヨハネ6章5節〜14節


イエス様は奇蹟をするためにピリポを試されました。

ピリポは「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」と足りない現実を言い、アンデ

レは「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」と言って出来ないと答えました。

 

このところで重要なポイントは神が語られた時どう聞くかです。

信仰を持って聞くのです。「無理です。」というのではなく信仰を持って受けとる時、神がわざをなさいます。

本当に神がわざをなすと信じるのです。例えば、「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」この神の言葉に応答する人は神の真実を見るのです。

 

   どんなにわずかに見えることでも主に差し出す。応答して差し出すのです。今もっている物を差し出すのです。

10節「人々を座らせなさい。」とイエス様は、まだパンが増えていないときにすわらせて、信仰の備えをさせました。神が語られた時、備えをしましょう。信仰を持って応答する時、神がわざをなされます。

5つのパンと2匹の魚が差し出されたとき、イエス様はこれで十分だと父なる神に感謝されました。

今あるものに感謝、そのままに感謝するのです。

 

   11節でイエス様は感謝をささげてパンをわけられました。

一人一人に欲しいだけ与え、しかも人々が満腹になるまで分けられました。

主が働かれる時、主は私たちに満腹になるまで与えてくださるのです。

主は私たちにベストを与えてくださるのです。

 

   感謝は奇蹟をおこします。

感謝は内側をつくり変えます。

今のままを感謝する時。

神はそこから奇蹟を起こします。神は生きて働かれるからです。

生きている神を体験しましょう。

 

(文責 関みどり)

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2007年12月9日 第2礼拝メッセージより