『神の言葉の力』
聖書箇所:創世記1章1節〜5節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
1節の「初めに」という言葉には「全く最初に」という意味があります。全く最初に真の神様が天と地を創造されました。
原語(ヘブライ語)を見てみると、1節の神という言葉は複数形になっています。しかし、動詞は単数形になっています。ヘブライ語では一般的に主語が複数形なら動詞も複数形になるという規則があります。もちろん、聖書は誤りなき神の言葉ですので間違いではありません。どうして主語は複数形なのに動詞は単数形なのでしょうか。それは、1節でいう神とは三位一体の真の神様を意味するからです。万物を創造された真の神様は、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神の三つの位格を持っておられますが、唯一の存在です。もし1節で主語も動詞も複数形になっていたら、八百万の神々を意味することになります。真の神様は三位一体であり八百万の神々ではないということを、聖書は冒頭から明確に伝えています。
地には何もありませんでした。何もないところに神の霊(聖霊)だけが動いていました(2節)。何もないところに神様が言葉を発せられたとき、光ができました(3節)。聖霊がおられ神様が言葉を発せられたとき、無から有がつくられました。創世記1章で、神様はご自身の言葉によって万物を創造されました。
ヨハネの福音書1章1節を見てみますと「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」とあります。この言葉は原語(ギリシャ語)ではロゴスといい、キリストを意味します。ということは神様が語られる言葉がキリストであることを意味します。したがって、神様が語られた言葉とともにキリストが働かれて万物は創造されたのです。
@神の言葉を受け解き放つ
真の神様を救い主と信じる私たちの内には聖霊様がおられます。いつも共にいてくださいます。ということは、神の言葉を受け解き放つとき無から有が生じるのです。無から有が生じるとは、人生で起こる困難(人間関係、経済、学業など)に解決、勝利が与えられるということです。十分に吟味した上で神の言葉を受け、状況がどうであれその言葉を握り告白し続けると神様の最善のときに必ず成就します。解決と勝利が与えられます。神様を救い主として信じ神の言葉が与えられれば、どのような困難が許されても大丈夫です。
A神の言葉によって与えられるものは良いものである
神様が言葉をもって創造されたものは非常に良いものでした(創世記1章31節)。神の言葉が成就すると神様は私たちの人生に非常に良いものを与えられます。もちろん、神様が用意されている良いものを受けるために必要な懲らしめや訓練を受けることはあります。
神の言葉を受けそれが成就すると非常に大きな祝福が与えられるのでサタンは必死になって攻撃してきます。神の言葉を受けさせまいと聖書を読むこと、祈ることを妨害してきます。神の言葉を受けてもそれを奪いにきます。神様から与えられた言葉を告白した後、否定的な思いを入れてきてその言葉を捨てさせようとしてきます。だから、攻撃がくることを意識して神様の助けをいただいて語り続けることが大事です。サタンの攻撃だけでなく、人間である私たち自身にも弱さがあります。神の言葉より、目に見える状況に引っ張られたり、人間的判断を優先させたり。もちろん、人間的判断がどうでもいいわけではありません。しかし、確かなものは神の言葉なのです。
私たちが心から賛美を捧げるとき、神様はそこにご臨在されます。この賛美が日本の霊の壁を突き破ります。心からの賛美を捧げ、霊の壁が突き破られたとき、神様は言葉を語られます。その言葉は、心、体の病を癒します。どうすることもできなかった深い憎しみを解かし、悲しみを消し去ります。なぜなら、神の言葉は不可能を可能にするからです。神様に期待して心からの賛美を捧げていきましょう。(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2007年12月30日 主日第二礼拝メッセージより