『主がお入用なのです』
聖書箇所:ルカの福音書19章28節〜40節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
神の一人子であるイエス・キリストが地上に来られた核の使命は十字架のあがないでした。核の使命を果たすためにイエス様は人々の賞賛を浴びながら王の王としてエルサレムに入城されました。エルサレム入城の際、イエス様は子ロバを用いました。ロバは戦闘用ではなく仕事、特に農耕に用いられることが多いのですが、とても忠実に主人の言われることに従うという特性があります。その反面、愚鈍であり馬のように効率よく働くことができません。
華やかな舞台に向かう時、世間一般では高級車などその栄誉にふさわしいものを用いるはずです。イエス様がエルサレムに入城する際も同じことがいえます。多くの癒しや奇蹟をおこなっていたイエス様は人気絶頂であり人々から賞賛を受けられたので、それにふさわしい白馬や真っ黒で強そうな馬に乗って入城されてよかったはずです。それにもかかわらずイエス様は子ロバを選ばれました。まして人を乗せた経験が無い子ロバを選ばれるなんて、足がもつれ転んでしまう可能性だって十分にありました。
イエス様はどうして子ロバを選ばれたのでしょうか。今回はここから3つのことを学んで行きたいと思います。
@弱さを受け入れる
子ロバは自分には力が無いことを知り自分の力の無さ、弱さを受け入れていました。だからイエス様をお乗せした時イエス様の言われるままに動いたはずです。神様は力がある者ではなく弱い者を用いられます。そのため、弱さを覚えさせられることがあります。できない人が弱さを覚え、できる人が弱さを覚えないということは間違いです。どんなにできる人でも弱さを覚えることはありますし、どんなにできなくても強がっている人がいます。弱さを覚えるというのは、本当に弱さを受け入れることです。十字架の恵みによって弱さを本当に受け入れることは神様に従っていく準備となります。弱さを本当に受け入れたときこそ神様の言われるままに従うことができます。
A十字架の愛
ロバは元々身長が高くありません。おそらく、イエス様が子ロバに乗ったことによりイエス様は普通に歩くより低くなったと思われます。馬に乗っていたら人々が上を向いてイエス様に賞賛を浴びせましたが、イエス様は誰よりも低くなられました。神であられる方が全人類の罪をあがなうために人として地上に来られただけでなく、王の王としてエルサレムに入城する際、誰よりもへりくだられました。イエス様は誰よりも低くなるために誰もまだ乗ったことのない子ロバを選ばれました。私たちがどんなに失敗しても、弱かったとしても、苦しい所を通ったとしても、そのもっと下をイエス・キリストが通ってくださったことをどうぞ覚えていただきたいと思います。
B主がお入用なのです
イエス様はエルサレム入城の際に用いた子ロバを明確に選ばれました(30節)。子ロバなら何でもよかったわけではありません。30節で指定している子ロバが必要だったのです。
イスラエルにおいて観光用のロバは小奇麗にしていますが、農耕用に用いるロバは鞍ではなく布切れを乗せられて荷物を運んでいます。そして忠実に働くがゆえに汚れています。このようなロバの生涯ですがイエス様の招きに応答した結果、本来はありえない祝福を受けました。子ロバの上にイエス様が乗られるということで人々は子ロバの上に上着を乗せ、また、イエス様のために子ロバが通る道に上着を敷きました。子ロバがイエス様の招きに応答し従った結果、エルサレム入城におけるイエス様の栄光と祝福に共に与ることができました。
私たち一人ひとりも子ロバのように神様の働きを担うために名指しで選ばれました。代わりはいないのです。必要としているからこそ、今置かれている教会、家庭、職場、学校に置かれました。神様が私たち一人ひとりを選ばれたということを自覚して歩んでいただきたいと思います。そうして、感謝と賛美によって弱さを受け入れ神様の招きに応答して行く時、豊かな報いを受けます。神様は必ず、私たちの人生を祝福してくださいます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2008年3月16日 主日第二礼拝メッセージより