『聖霊のバプテスマ』

聖書箇所:使徒の働き1章12節〜14節                     メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

イエス・キリストの十字架のあがないを信じ、三位一体(神様は、第一位格:父なる神、第二位格:子なるキリスト、第三位格:聖霊なる神の三つの位格をもっておられるが唯一の存在である)の生ける真の神様を信じる私たち一人ひとりの内には聖霊様が住んでおられます。しかし、聖霊様が住んでおられることと、聖霊様に満たされていることは違います。聖霊様で満ち溢れるカギは賛美と祈りです。ペンテコステ(聖霊降臨)前の弟子たちは祈りによって聖霊様を求めていました。そこから3つのことを学んでいきたいと思います。

十字架のあがないを全うされ復活されたイエス様は四十日間、弟子たちに現れました(使徒の働き1章3節)。その時、イエス様は弟子たちに約束の言葉を与えます。「バプテスマのヨハネは水で悔い改めのバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマ(聖霊様に満ち溢れる)を受けるからエルサレムを離れないでこの約束を待ちなさい。」(使徒の働き1章4節、5節)この約束の言葉を与えた後、イエス様は天に上げられました。

@    聖霊のバプテスマ

聖霊様に満たされると真実な悔い改めが導かれます。それだけにとどまらずキリストが持っている喜び、命、希望で満ち溢れます。癒し、奇蹟が起こります。聖霊様に満たされると私たちの内側は神様のもので満ち溢れます。また、弱さ・欠けさえも聖霊様の力と恵みによって活かされ用いられていきます。だから聖霊のバプテスマを受けることは重要な意味合いがあります。

A    地の果てまでの証人となる

聖霊様に満たされると神様をたくさん体験し、神様の恵みをたくさん受けます。そうなるとイエス様のことを人々に語らざるを得ない喜びに満たされます。

また聖霊のバプテスマを受けると聖霊様の力が私たちに臨みます。8節でいう力とは、イエス様のことを人々に分かち合っていく力のことを意味します。力むことなく、自分の頑張りによってではなく聖霊様からくる力と喜びをもって人々にイエス様のことを語ることができます。   

1章8節の証人という言葉は殉教者とも訳せます。聖霊様に満たされると命がけで証しする者へと変えられます。 地の果てまでイエス様のことを述べ伝える者へと変えられていきます。

B聖霊のバプテスマを祈り求める

弟子たちは復活されたイエス様に会ったにも関らず、ユダヤ人を恐れ隠れていました。イエス様の仲間だとわかると殺されるかもしれないからです。弟子たちの中にはあいかわらず恐れがありました。それと共にイエス様が十字架にかかる時、裏切ってしまったことを通して自分たちの弱さを痛感していました。そのように弟子たちは弱さを痛感していたので聖霊様を祈り求めざるを得なかったのでしょう。

私たちも神様のビジョンに向かっていくとき、自分の力の無さを覚えることがあります。その時、神様の助けをいただいて力の無いことを認め、聖霊様に満たされることを祈り求めていきましょう。聖霊様に満たされる時、越えられない壁を越えることができます。聖霊様に満たされる時、弟子たちが力強い証し人に変えられたように私たちも一新されていきます。

 

    日本の霊の壁を突き破るには聖霊様に来ていただく必要があります。霊と真をもって神様に賛美をささげると共に聖霊のバプテスマを受けることを祈り求めていきましょう。聖霊のバプテスマを受けたくさんの証しをもって神様を人々に分かち合っていく時、人々は確かに生ける真の神様を実感するでしょう。               

(文責 久保田望)

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2008年5月4日 主日第二礼拝メッセージより