『ペンテコステ』
使徒の働き 2章1~4節、38〜39節
ペンテコステとは使徒の働き2章に書かれている、弟子達に聖霊が臨んだ日の事を言います。くだいて言えば、教会の誕生日とも言えます。この日から本格的に初代教会の歩みがスタートしました。今年のペンテコステで、神のしもべ長崎教会は20年が満ちました。今年は特別な意味を持つ、節目の年であると、長崎教会がスタートした20年前から語られていました。
・聖霊時代の幕開け
ペンテコステの日、聖霊が臨むと同時に教会はスタートしました。そのため、聖霊時代、教会時代とも言い
います。これはキリストの再臨される時まで続きます。1節「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていたと。」書かれています。そう書くと格好良く聞こえますが、それは恐れのゆえでした。しかし、その恐れていた弟子達に、2節「すると突然、天から激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らの家全体に響き渡った。」と書かれています。聖霊のバプテスマ、つまりペンテコステです。そして、舌が現れ、聖霊に満たされたみなが他国の言葉で話し出しました。賜物の働きが現れたのです。一番初めに現れた賜物は異言でした。つまり、言葉の賜物であったのです。
・すると突然、約束の成就
ペンテコステとは約束が成就した日でもありました。1章4〜5節で、イエス様が弟子達に約束された事が成就したのです。この時、約束が与えられて、成就するまで10日間でした。いつ成就するのか初めから分かっていたら、弟子達も恐れる事は無かったでしょうが、いつ起きるかは、誰にも分かりませんでした。しかし、「すると突然」その日は訪れたのです。聖霊のバプテスマという、神の約束が成就したのです。それは、弟子達にとっては、まったく何も変わっていないように思われるところからでした。
これは、遠い昔のお話ではおりません。今でも、主の時が来る時、「すると突然」約束の成就が現されるのです。聖霊が来る時、約束が成就し、待ち望んだ事柄が現れてくるのです。私たちがどうであるかは、問題ではありません。もちろん、私たちが整えられる事は必要です。しかし、神の約束は、目に見える状況がまったく変わっていなくとも、むしろ約束とは逆のように見えても、神の真実にかけて必ず成就されるのです。
・恐れからの解放
聖霊のバプテスマを受けた弟子達には明確な変化が現われていきました。1つは聖霊の賜物、つまりカリスマの働きの現れです。そして、もう1つが恐れからの解放です。この後、ペテロが大胆に大声で人々に向かって「あなたがたがキリストを十字架につけたのだ。」と、説教を始めたのです。しかし、彼はそれまで、他の弟子たちと共に、怯えて隠れていたのです。その彼が、こう言ったのです。
恐れは人を縛り、惑わします。しかし、聖霊によって満たされる時、その恐れから解放されるのです。
・生きて働かれる主
ペテロが語ったメッセージの中で重要な事は、32節「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」という事でした。つまり、イエス・キリストは確かに、すべての人々の罪のために十字架にかかり、死なれましたが、死からよみがえり、今も生きて働いておられるのです。私たちが証人として、人々に伝えるのは、この生きて働かれる主なのです。生きて働かれる主を私たち自身が体験し、証しするのです。主は私たちのために今も生きて働いてくださるからです。
人々はペテロのメッセージを聞いたとき心を打たれました。そして、自分達はどうすれば良いのかと尋ねました。ペテロはこう答えます。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」つまり、イエス・キリストを信じた時、すべての者に聖霊は来てくださって、主の栄光を現してくださるのです。これから主は私たちを通して、多くの人々を救おうとしておられます。主に期待して歩みましょう。
(文責松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2008年5月11日 主日第2礼拝メッセージより