『神様にあってできると信じる』

聖書箇所: 使徒の働き3章1〜8節                         メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

ペンテコステ(聖霊降臨)以降、最初の奇蹟はペテロとヨハネを通して起こりました。ペテロとヨハネが祈るために宮(今でいえば教会)に向かっていました。その時、生まれつき足のなえた男の人が運ばれて来ました。 男の人はペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て施しを求めました。すると、ペテロは次のように言いました。「金銀は私にはない。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」そして、男の人の手を取って立たせました。するとたちまち、男の人の足とくるぶしが強くなり、男の人は歩けるようになりました。男の人の足は完全に癒され踊り上がって神様を賛美しました。この奇蹟には3つのカギがあります。それを学んでいきたいと思います。

@    聖霊様によればどのようなわだかまりも解かされる

神様はペテロを通して癒しを行いましたが聖書を見るとペテロの名前と共にヨハネの名前が何度も登場していることから(使徒の働き3章1節、3節、4節 参考)ヨハネも共にその奇蹟を行ったことを強調しています。これは考えたら奇蹟です。というのは聖霊のバプテスマ(聖霊の満たし)を受ける以前の二人の間にはわだかまりがあったからです。仲が悪いというわけではないのですがお互いいつも相手のことが気になってきました。参考にペテロが再召命される聖書箇所を見てみます。イエス様がペテロに「私に従いなさい」といいました(ヨハネの福音書21章19節)。するとペテロは「従います」という前に「この人(ヨハネ)はどうですか。」とイエス様に尋ねました(ヨハネの福音書21章21節)。このことからペテロはヨハネのことが気になっていたことがわかります。ヨハネもペテロのことが気になっていました。

しかし、聖霊のバプテスマを受けた時、二人の間にあったわだかまりは解かされました。神様の働きを担うために一つとされました。聖霊様がわだかまりを解かしてくださったのです。聖霊様によれば解かすことのできないわだかまりは決してありません。親子、夫婦、教会あらゆる人間関係において存在するあらゆるわだかまり、それがどのように深いものだったとしても神様は解かしてくださいます。そして一つとしてくださいます。

A    教会につながり祈りの習慣を身につける

 ペテロとヨハネが宮(教会)に祈りに行く途中に奇蹟が起きました。ペテロとヨハネは宮(教会)にしっかりとつながっていました。教会はキリストが満ちておられます。そのため教会にいると神様の働きにあずかることができます。教会につながることはとても重要です。

使徒であるペテロとヨハネは祈りの習慣が身についていました。定期的に1日に何回か祈りをささげていました。

祈りといえば、主の十字架の群全体に賛美隊と語られているので、真の賛美隊となるための「感謝と賛美の祈り」がポイントとなります。感謝と賛美の祈りをささげていく時、確かに神様のみわざが起こります。

感謝と賛美の器であるマーリン・キャロザース氏の著書「獄中からの賛美」を見てみますと、かつてマーリン氏は感謝と賛美と程遠い方であったことがわかります。しかし今ではマーリン氏は感謝と賛美の世界的器です。弱い者は信じると強くなるのです。頑張るのではなく神様が働いてくださると信じることがスタートです。神様の恵みによってできるようになると信じていく時、確かにできるようになります。恵みによって感謝と賛美の祈りの土台を確立させていきましょう。

B不可能を可能にする神の言葉

 ペテロは「イエス・キリストの名によって歩きなさい」と男の人に言いました。男の人はペテロとヨハネに金銀や食物を求めていたと思われます。しかし神様は男の人が物乞いをすることになった根本的な原因を解決されようとしました。そのためペテロを通して、いっさいのものを従わせることができるイエス・キリストの御名の権威によって歩くように男の人にいいました。

 病、人間関係、お仕事、学業など人生で許されるどのような問題も神様から言葉が与えられれば、必ず、神様の最善の時に根本的な解決・勝利が与えられます。神様はまず私たちクリスチャンがそれを体験することを願っており、次にその証しを持ってノンクリスチャンの人々にその希望を語ることを願っておられます。まずは自分自身が生ける真の希望である神様を体験し、それを人々に分かち合っていきましょう。                         

(文責 久保田望)

  主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2008年5月18日 主日第二礼拝メッセージより