『教会の祈りには力がある』

聖書箇所:使徒の働き12章1〜17節                           メッセンジャー:イザヤ木原真牧師


ヘロデ王という王様がイスラエルを治めていました。ヘロデ王が教会のある人々を苦しめようとして使徒の一人であるヤコブを殺しました。そのことをユダヤ人が気に入ったのを見て、ヘロデ王はヤコブに続いてペテロを殺そうとして捕らえました。その時期は祭りの時期だったので祭りの後にペテロを殺そうと思い祭りが終わるまでペテロを牢に閉じ込めました。四人一組の兵士四組(16人)にペテロを監視させました。厳重な監視であり脱出するのは絶対に不可能な状況でした。そのころ、教会はペテロが助け出されるように熱心に神様に祈り続けていました。すると、ペテロが殺されようとしていた日の前夜、奇蹟が起きました。ペテロは二本の鎖につながれて二人の兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していました。すると突然、天使がペテロの元に現れました。天使はペテロに具体的な指示を与えました。ペテロは天使のいわれるままに従いました。すると、ペテロは脱出することができました。まさに奇蹟が起きました。

この奇蹟が起こったのには3つのポイントがあります。それを学んでいきたいと思います。

 

@教会の祈りには力がある

ペテロ自身、殉教に対しての覚悟がありそれに備えて祈っていたと思われます。助かるのは絶対に不可能な状況だったのでペテロの頭には助かるという発想が思い浮かばなかったと思われます。ペテロは助かることを期待も願いもしていなかったと思われます。なぜかというと、天使がペテロに脱出の指示を与え誘導していることをペテロは幻だと思っていたからです。

 ペテロの場合は実際的な牢屋でしたが、目に見えない牢屋に閉じ込められ苦しんでいる人が世の中に溢れています。ひきこもり、病、負債、憎しみ、ギャンブルという牢に閉じ込められペテロのようにその牢から抜け出すことは不可能だとあきらめている方がいます。ですが本人があきらめていたとしても、神様は教会の祈りを通してこのような牢に閉じ込められ苦しんでいる人々を救い出したいと願っておられ、救い出すことがおできになるのです。個人の祈りもきかれますが、教会の祈りは恐いほどきかれます。神様に期待して、見えない牢に閉じ込められ苦しんでいる方のために祈っていきましょう。

 

A神様が起こされる祈り

教会はペテロが助かるように熱心に祈っていました。この祈りはまさしく神様が起こされた祈りでした。ヤコブに関しては殉教することが御心(神様の計画・願い)でしたが、ペテロに関しては地上での使命が残されていたので助かることが御心でした。個人、教会において神様が起こされる祈りがあります。その祈りを真剣に祈っていくと、祈っている当人が心からそれを願っていなかったとしても神様が起こされる祈りは神様の真実にかけて成就します。

 

B    恵みによって応えられる

 教会はペテロが助け出されるように神様に熱心に祈り続けました。しかし、信じきって祈っていたわけではないようです。というのは、天使により助け出されたペテロが教会に来た時、教会の人々は、ペテロが教会に来たことを信じなかったからです(使徒の働き12章15節、16節)。

 信じきって祈ることが一番ですが、信じたくても信じきれない時があります。熱心に祈っていても信じきれない時があります。ですが、神様が起こされる祈りを祈る時、信じきれなかったとしても、神様は祈ることを信仰の行為とみなしてくださってその祈りに応えてくださるのです。私たちの何かではなく、神様の恵みによって応えられるのです。

 

(文責 久保田望) 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2008年6月1日 主日第二礼拝メッセージより