『大逆転の勝利』
使徒の働き16章19〜34節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
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不条理な投獄 19節〜
この時、パウロとシラスは福音宣教をしていました。多くの人々にイエス・キリストの十字架の救いを伝えていました。与えられた弟子としての使命と働きをしていたのです。その二人が祈り場に行く途中、占いの霊につかれた女奴隷と出会いました。この女奴隷は主人たちにその占いで利益をもたらしていました。占いは罪です。つまりこれは、はっきりと悪霊の力なのです。この女奴隷は「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの神をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けました。言っている事はあっているのですが、これは福音宣教の妨害をしているのです。悪霊は巧妙に近づいてくるのです。幾日もこんな事を続けるので、パウロが「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と女奴隷に言うと、即座に悪霊は女から出て行きました。しかし、女奴隷は悪霊から解放されたのですが、これに対して怒りを持ったものたちがいました。女奴隷の占いで利益を得ていた主人たちです。彼らは利益が得られなくなったことに腹を立て、パウロとシラスを捕らえて、役人達に引渡しました。パウロとシラスは着物をはがれ、何度もむちで打たれてから、奥の牢へと入れられ、足かせをつけられました。彼らは決して罪など犯していません。むしろ神によって与えられた福音宣教という使命をはたしていたのです。それなのに何故彼らが投獄されなければならないのでしょうか。何故、神はむちで打たれる前に助け出してくれなかったのでしょうか。実はここには神の大いなる計画と救いが用意されていたのです。
私たちが本当に神を愛し、神に従って行くとしばしば、大きな困難や問題にぶつかるのです。それは聖書的に歩んでいくならば、当然のことです。しかし、その困難の後、神は大いなる計画をもって、逆転の大勝利を与えようとしておられるのです。私たちは困難が起きる前に、神の助けが現れるのを期待してしまいますが、もうお終いだと思えるところから、神はご自身の御業と栄光をもって、勝利を与えて下さるのです。
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大逆転の勝利を得るための鍵 25節〜
真夜中ごろ、パウロとシラスは牢の中で、祈りつつ神に賛美をしていました。むち打たれ、足かせをつけられた場所で、彼らは神に感謝し、礼拝を捧げたのです。神に従い、働きをしてきた彼らには「何故こんな事が起きるのですか。」と神に訴えつぶやく事も出来たでしょう。しかし、彼らはその獄中で、神に感謝の祈りと賛美を捧げたのです。彼等が賛美をしている時、ほかの囚人もその賛美に聞き入っていました。するとその時でした。すると突然。大地震により、獄舎の土台が揺れ動き、牢のとびらが全部開いて、みなの鎖が解けてしまったのです。神が働かれたのです。しかしこの時、神はパウロとシラスだけではなく、囚人達も自由にしました。看守は思わす、「囚人達が逃げてしまった。」と思い、自殺しようとします。しかし、彼らの中に、この騒ぎに乗じて逃げる者はいませんでした。この時すでに、罪を犯した、悪人であるはずの囚人達さえパウロとシラスが捧げた、賛美の臨在の中で、まったく変えられていたのです。この事に最も驚いたのは看守自身でした。看守はこの囚人達がどのようなものたちか良く知っていたからです。驚いた看守は震えながらにパウロとシラスの前にひれ伏して、「救われるためには、何をしなければなりませんか。」と救いを求めました。ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族を救われます。」と言いました。そして、看守とその全家族が神を信じたのです。パウロとシラスは大逆転の勝利を見たのです。
私たちの人生にも何故こんなことが起こるのだろうと思えるような事が度々あります。学校や職場、家庭でも。人々は見えない牢に捕らえられるのです。しかし、そこで私たちが神に祈り、感謝し賛美を捧げる事で、神は働かれるのです。パウロとシラスが牢獄に行かなければ、看守とその家族は救われませんでした。同じように、私たちが遣わされているそこに、神が変えようとしている人がいるのです。なぜならそうして、リバイバルは起こるからです。困難にぶつかった時、神に祈り感謝しましょう。その後には、神の大逆転の勝利が用意されているからです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター神のしもべ長崎教会
2008年6月8日 主日第2礼拝メッセージよ