『神は語られる』

聖書箇所:創世記 12章1〜4節                                   メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

祈り聞き従う事の原点である、神の語りかけを聞く、神様から言葉を頂くという事を学びたいと思います。

わたしたちは、神様を信じています。どんな神様を信じているかというと、天地を造られた神様、全宇宙を支配し、歴史を導いて

おられる神様、私たちの事を、一人子のイエス・キリストを十字架にかけるまでに愛して下さっている神様を信じています。

もっと具体的に言いますと、抽象的にではなく、あやふやではなく、非常に具体的に私たちの人生に関わり、愛と、あわれみの

御手を伸ばして下さいます。その場合に、言葉が中心になります。言葉をとおして語ってこられ、言葉をとおして触れて下さいます。

この神様から言葉を受ける、言葉を聞くという事は、非常に重要な事です。ローマ人への手紙10章17節にはこう書いてあります。

『そにように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。 』 つまり、神様から言葉を頂く

事が鍵なのです。神様は、語られる神です。しかし、たくさん神の言葉を受ける人と、あまり受けていない人がいるのです。

語りかけを受けるのに鍵が三つあります。そのポイントを見て行きましょう。

 

まず、一つ目ですが、もっとも簡単で、単純な語りかけは、なんでしょうか。それは、聖書です。神様は、聖書をとおして語って

こられます。ということは、聖書を読んでいなかったら、神様からの語りかけは、無いとは言いませんが、非常に少ないですし、

間違えやすくなります。そして、聖書からの語りかけには、二つあります。一つは、普遍的な真理と言います。わかりやすく言うと、

いつでも、どこででも、だれにでも、適応できる御言葉という事です。例えば 、『すべての事について感謝しなさい。 』 、

ローマ書の、神を愛する人々のためには、すべてのことを働かせて益とする、という二つの御言葉があります。

神を愛するとは、神の言葉に従う事なので、私たちが、すべての事を感謝するとき、神を愛する事になります。そして、愛するもの

には、神がすべてことを益としてくださるという、聖書の約束があります。この約束は、いつでも、どこででも、だれにでも、

適応できる御言葉、普遍的な真理です。特別に心に響かなくても、適応できる御言葉なのです。

そして、もう一つは、特別な状況で、特別な場合に語られる神の言葉があります。聖書を読んでいますと、前後関係に関係なく、

聖書の言葉がせまってきたり、ふれられる事があります。しかし、この語りかけには、十分な吟味が必要です。しかし、神様は、

非常に具体的に語ってこられます。この事をおぼえて下さい。

 

二つ目は、この御言葉という土台として、祈りがあります。祈りのうちに、神は語ってこられます。思いが浮かんできたり、

御言葉が心に浮かんできたりします。もちろん、間違える事があるので、吟味が必要です。もちろん間違える事もありますが、

間違えながら学んでいくのです。神様は、生活の日常の中で語ってくださっています。そのためには、神様に心を向けて下さい。

そして、大前提に神様が私に語って下さると信じる事があります。どんなに、最悪でも、どんな状況でも、神様は、十字架の愛の

ゆえに語って下さると信じるかです。神様は、しばしば語ってこられます。神様が語って下さると信じ、神様に心を向けて下さい。

 

正しく神様の導きを歩む鍵があります。それは、教会です。教会の守りを受けると大きくずれる事から守られます。

群れ全体の流れの中で、教会の流れの中で一人一人の事も導かれる事をおぼえて下さい。

 

神様の言葉を受けて下さい。神様は、語ってこられます。非常に具体的に語ってこられるのです。

その言葉は、私たちの人生を祝福し、正しく導く鍵となります。

 

 

 

                                                              (文責 モーセ出西 光) 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2008年6月22日 主日第二礼拝メッセージより