『見よ。わたしは、すべてを新しくする。』

                      ヨハネの黙示録2156 
                                    メッセンジャー イザヤ木原真牧師          

      

      

      この御言葉は2000年にイスラエルへと遣わされた、ミレニアムチームで語られた御言葉でした。この御言葉が語られた後、確かにこの群れは大きく変化がもたらされ、新しくなりました。2000年のころと現在を比較しても、賛美の働きや、カリスマの働きにおいて、確かに変わっています。 

     ・「見よ。」
 これから多くの変化がこの群れにも、教会にも、私たち自身も周りも現われるでしょう。しかし、神は「見よ。」と言われました。私たちがこの御言葉の成就を得るためには、私たちは見なければならないのです。1つは教会です。教会にいる事です。教会にいる事は簡単な事ではありません。神の家族である教会は最も平安を得る場所と同時に、戦いも多い場所だからです。しかし、教会にいることで、私たちは新しくなるのを見ることができるのです。祝福の土台、神の働きの土台は教会なのです。そしてもう1つは、御心の場所に居続ける事です。教会でも、職場でも、家庭でも、神が言われる場所には居続けなければならないのです。神が言われる所に居続ける事が祝福を得るポイントです。しかし、ポイントであるゆえに、祝福を得させまいとサタンは攻撃してきます。私たちは勝利を得るために、戦わなければならないのです。なぜなら、戦いなくしては、勝利は無いからです。神が言われる場所に居続ける事で、新しくなるのを見ることが出来るのです。

     ・「わたしは、すべてを新しくする。」
 「わたしは」と書かれています。この「わたし」は私達自身ではありません。神ご自身なのです。神がすべてを新しくされるのです。新しくなる条件は私たちが頑張る事ではありません。条件は「見よ。」です。見れば良いのです。では、私たちは何もしなくては良いのか。そうではありません。私たちは主を信じるのです。主を信じるとは、主にゆだねる事です。何かをしなければいけないと、私たちは思いますし、頑張ろうとします。しかし、重要な事は頑張る事ではないのです。信じる事が重要なのです。主が語られた言葉を信じるのです。

 神は「すべて」と言われました。私達はつい例外を作ってしまいますが、神は「すべて」と言われたのです。神が「すべて」と言われたら、すべてが新しくなるのです。私たちが愛する者も、家族も、職場も、そして、自分自身も。神がすべてを新しくされるのです。私たちは人の言葉は容易に信頼し、信用してしまいます。しかし、それ以上に、神の言葉を信じましょう。そうして、すべてが新しくなるからです。

     (文責松本俊也)

     主の十字架クリスチャンセンター神のしも長崎教会
2008
720日 主日第2礼拝メッセージよ