『信じる』
ヨハネの福音書 11章38〜44節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・ 1〜37節
イエス様が愛しておられたラザロが死ぬような病気になりました。ラザロには、マルタとマリヤというお姉さんがいたので、その2人がイエスさまのところに「ラザロを助けて下さい。」と言って使いを送ります。使いを送った時、イエス様はいつもだったすぐに飛んで来てくださるはずなのに、その時は「この病気は死で終わるだけのものではない。」と言われて、2日間もその場にとどまってから、ラザロの所に行かれます。そしてイエス様がラザロの所に着いた時にはラザロはすでに死んで4日経っていました。
マルタは「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」とイエス様に言いました。イエス様は言われます。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」そう言われた後に、イエス様はラザロの墓に行かれました。
・ 38節〜
イエス様が墓に来られると、そこには石が立てかけられていました。イエス様は言われました。「その石を取りのけなさい。」すると、死んだラザロの姉妹であるマルタはこう言いました。「主よ。もう臭くなっておりましょう。4日になりますから。」イエス様はマルタに言われました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」と。もちろんこれは、復活の事を言われたのです。
「ラザロは死んだけれども、神様は必ず栄光を表してくださる。良い事をして下さる。信じるなら神の栄光を見せてくださる。」と信じることをイエス様は願われたのです。
神に信頼して、神の言われる事に従って行く時に、私達が思っている事よりも、もっと大きな事を神様は人生に表してくださり、従う中で見させて下さるのです。
・ 41節〜
彼らは石を取りのけました。イエス様は目を上げて言われます。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」ここではまだラザロは死んだままですが、イエス様はラザロがよみがえる事を信じて、先取りの感謝をされたのです。
感謝して神様がなされる事を先に見て行く時に逆転が始まり、今、最悪の状況でも神様が導いてくださるなら必ず神様は良い事をして下さるのです。期待して、感謝して、逆転を見るのです。
・ 43節〜
先取りの感謝をされたイエス様は大声で「ラザロよ。出てきなさい。」と叫ばれました。するとこの時、イエス様が言葉を発せられた時に奇蹟が起こったのです。死んでいたラザロがよみがえったのです。
私達が言葉を聞くかどうかは大きなポイントです。問題に対して、人生に対して、神の言葉が与えられる時に、その言葉は私達の人生に奇蹟をもたらすのです。また、私達の愛する人や、病の中にある人に神様の言葉を放つ時、その言葉はその人の人生に奇蹟をもたらすのです。
神の言葉には力があるからです。
(文責千多富士男)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2008年8月31日 主日第2礼拝メッセージより